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残響④ 華燭の典 中 【鬼滅の刃】【二次創作】

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#34 残響 5 華燭の典 中 (愈史郎×善逸) | 鬼滅の刃 - sungen(さんげん)の小説シリー - pixiv

【概要】鬼滅の刃・過狩り狩り 二次創作 長編

カップリング】メイン:愈史郎×善逸 (R18あり)、ぜんねず、ゆしたま

 

残響 華燭の典 中

ああ、そうだったんだ。

善逸は自覚した。

生まれてからずっと、善逸の箱には穴が開いていた。
けれどある時を境に、その穴はぴったりとふさがった。
善逸自身も不思議で、首を傾げた。
あの、砂が指の間から全て、自分さえもこぼれていくような感覚がしない。

『ずるい』という妬み、そういう物も忘れるくらいの冷たい感覚。体が冷え切って、何も感じなくなる。その感覚がない。
あれが食べたい、あれが欲しい。盗みたい。寒い、痛い、ひもじい。痛い。寂しい。
泥水を飲んだときの空しさ、虫や動物を食ったときのやるせなさ。
腹いせに殴られたときの痛み。指を差されたときの惨めさ。そういう物をずっと忘れられないと思ったのに。忘れたくないと悲しみ、恨みに思ったことを覚えているのに。

奉公に出て、雨風がしのげるようになったから?
食事をもらえるようになったから?
その前の事は忘れていくのだろうか。どうして忘れる事が出来た?

例えばちょっとした親切を貰ったり、少し嬉しい事があったり。
そういう事が、善逸の中にどんどん降り積もっていく。
人から見ればろくな目に遭っていないのだろうけど、このままでは幸せがあふれる。

物乞いをしていた頃の事はあの時だけの事で。
意味が悪い、気持ち悪い、汚ならしい、鬼だの化け物だのいわれた事も全部――こうして、少し成長したから、善逸の中で過去になって行くのだろうか。

(憎しみや苦しみ、痛みはいつか、癒えていく物なんだ……)

善逸はほっとした。誰かを恨んでも良い事が無いと分かっていたから。
これが大人になるって事なのかな。
善逸は十一の時、そんな事を考えた。

でも、違ったんだ。
――君と珠世さんが塞いでくれたんだ。

……穴をふさげない人もいる。
兄弟子の獪岳がそれで、善逸は必死に、獪岳の箱の穴を塞ごうとした。
獪岳の箱には大きな穴が開いていて、善逸では塞げない。
善逸と師範でも足りない。いつも不満の音がする。
どうしてふさげないんだと、でもきっと俺じゃ塞げないんだ……と思っていた。
でも、きっとそんな事は無い……。
忘れずに思ってくれる人達がいる。また会えた。覚えてくれていた。
それがこんなに嬉しいんだから。あきらめちゃいけない。

「善逸さん?どうしました」
珠世が言った。

善逸は泣きながら首を振った。
「ううん。……また会えて、嬉しい……、うっぐ、ゆしろ゛うさん、だまよさん゛……っ!うぁああん!!会いたかったよぉぉ!!!ずっと一人で寂しかったよぉぉぉ!!!」
善逸は珠世にすがりついた。

 

■ ■ ■

 

「……善逸?」
愈史郎は眉を潜めた。善逸がぽろぽろと涙をこぼし始めた。
そうしたら、急に大声を上げて泣き出した。「うぁあああああ!!」だの「びぇええええ!」だの、鼻水を垂らす、記憶にある善逸の汚い泣き方だ。

記憶と違うのは、その外見だった。
成長した善逸の髪は見事な金色で、目はおよそ見た事も無い琥珀色。
髪は染めたと考えられても、目の色は……。一体、何をどう作り変えたらこうなるのか。まるで『生まれてこの方ずっとこうでした』と言わんばかりだ。

(いや……これは――あの昔の姿の方がおかしかったのか?)
愈史郎はそういう、不思議な感覚に囚われた。

愈史郎の知る黒髪黒目の善逸は、いつもどこか色が沈んでいて、そのくせうるさくて、見た目だけ地味でちぐはぐで、だから余計におかしかった。
善逸のうるささを思えばこれくらいが丁度良い――、性格に合っている。
つまり『似合っている』と思った。

同時に、別の人間を見ているようだと思った。
愈史郎は炭治郎からの手紙で鬼狩りに我妻善逸、という者がいると知った。まあ年からしてもアレに間違いは無い。
手紙を読むと、やたらみっともない性格になってしまったようだが、それはどうでもいい。珠世と愈史郎は放置していたし、見張りも付けなかった。
元々ろくな生まれ育ちでは無いのだから、ろくな人間になるとも思っていなかった。

――愈史郎はどこかで、そうやって、ろくでもない人間になればいいと思っていた。
そうすれば、忘れられるし、こいつは『人』になれる。群れに入れる。
犯罪者になれ、ならず者になれ、最低になれ、とさえ思っていた。

鬼狩りになってしまったのは、もはや不憫としか言いようがない。
それを知った愈史郎は、目も当てられない、聞くに堪えない、それ見た事かと溜息を付くより他なかった。
もちろん珠世もどんよりしていた。あれだけ心を砕いて『普通』を与えようとしたにもかかわらず、結局鬼狩りになった。
しかし逆に『もうこれは仕方無かったんだ』とあきらめが付いた。
――やはり、あれは当たり前の子供ではなく何らかの素質や才能があった。
それだけの事だ。

後は炭治郎経由で話が回ってこないことを祈るばかり、多分無いだろう。
善逸は忘れているから放っておけば問題無い。こちらから近づく気も無い。
たまに息災を手紙で知ることができる、炭治郎に感謝しよう。

――と、愈史郎は都合良く考えようとしていたが、やはり竈門炭治郎という共通の知人ができてしまった事は致命的だった。
善逸はやはり覚えていた。
炭治郎は『善逸は名前しか覚えていない』と言ったが。
普段のうるさい善逸、あれは全部忘れたと言ったくせに、名前をしっかり覚えていた……もはや執念すら感じる。

炭治郎から、善逸が会いたがっているという旨の手紙をもらい、愈史郎と珠世は話し合った。
『まあ。どうしますか、愈史郎』
珠世は驚いたようだった。若干、嬉しそうにも見えた。
『もちろん断固反対です!今まで会わなかったんですから、必要ありません』
愈史郎は断固反対した。
せっかく今まで会わずに来たのに、今更会ってどうする。
『……そう、ですよね』
珠世も頷いた。
それからすぐに追われる身となった。

そうして、藤の家にかくまわれて――鬼狩りに守られる内に、善逸、善逸と炭治郎がうるさくなってきた。知り合いだからと任務に付けられたのだろうが、全くもってありえない。

水柱、冨岡義勇は珠世達と知り合いらしいからと善逸も任務に組み込んでいた。
冨岡曰く、お前達は鬼だから、事情を隠して護衛するのは面倒だと。
鬼殺隊には鬼に恨みを持つ者が大勢いる。しかしそれでは護衛として役に立たない、と。
……冨岡は愈史郎と珠世に『鬼だとばれないように、一般人として振る舞え』と言った。

鬼に恨みの少ない者、これが鬼殺隊では非常に稀らしい。
だいたい恨みがあって命懸けで鬼狩りを目指すのだから、これは当然と言える。
炭治郎は例外中の例外で、珠世と愈史郎が今、人を喰っていない、自分も鬼を連れている、その上で味方だ、と判断して協力している。
要するにお互い後ろめたい事のある、共犯関係だ。

相手が鬼でも命を賭けて、職務を全うする気概――おかしな性癖と言ってもいい――のある隊士は実はそういない。

現に、珠世は今まで隊士達と接触していない。
珠世は家の奥に隠し、愈史郎一人が目の色を変え、爪を隠し、人の振りをしてつなぎを取っている。
珠世の方が鬼としては強いので――気配で、その美貌で。ばれる可能性が高いのだ。
そうでなくとも、隊士達が珠世に惚れたら困るし、珠世がその姿を有象無象の男共にさらすのも我慢ならない。
その点、愈史郎なら生来の生意気な態度で煙に巻くことも出来る。

それでも護衛の隊士達は『愈史郎だっけ?あいつ、少し変わった雰囲気だな』『なんか妙な気配だよな』と話していた。やはり鬼狩りは鋭い。
愈史郎は屋敷の周辺だけでなく隊士達の言動も監視している。個人に見張り札を付けるのではなく、襲撃に備え、建物全ての部屋に見張りの札を付けている。
ようするに、屋敷内、屋敷周辺での会話は愈史郎に筒抜けだ。

いっそ「鬼だからそれでも護衛しろ」と言えばいいのだが、鬼だとばれると、愈史郎と珠世の今後の生活に支障が出る。どこから話が漏れるか分からない。

護衛というのも気にくわない。
愈史郎は珠世との時間を邪魔されるのが大嫌いだ。
愈史郎は――早く親玉を倒せ。さっさとしろ。と思っていた。
そちらは冨岡が、風呂敷の中身は蟲柱の胡蝶しのぶという者が調査しているらしいが、進み具合はほとんど知らされない。連絡や命令はヨボヨボの鎹烏が持ってくる手紙で行い、冨岡が来るのは稀だ。
つまり苛々していた。

そこに来て善逸だ。ついにと言うか。
たまたまと言うか――炭治郎が昨日、いきなり運び込んできた。
どうやら体調不良で倒れたらしい。そんな馬鹿な、と思った。
今までの苦労が炭治郎によって、善逸の自己管理の不備によって、ふいにされた。
病気ならまだ分かるが、「何となく気分が悪かった」などというしょうもない理由で水の泡。

愈史郎は善逸に会いたくなかった。
珠世も初めは愈史郎と同じ意見だったのだが、なぜか途中から、急に態度を変えた。
頑として譲らぬ愈史郎を見て気を変えたのかもしれない。

『……愈史郎、やはり、会ってみては?』
珠世は何度も言ってきた。
『俺は絶対に嫌です!』
愈史郎は言った。
『……ゆ』
『いやですからね!』
愈史郎は珠世と目を合わす度に言った。
『あの、ゆ』
『会いません!』
珠世は何も言わなくなったが、時折、何か言いたそうに愈史郎を見る。

『愈史郎、我が儘はいけませんよ。護衛としては、彼も適任なのですから』
そのうち愈史郎を窘めるような事を言いだした。

『護衛なら、こいつだけで十分ですよ』
炭治郎を示して、愈史郎はそっぽを向いた。話す事は何も無い。と態度で示した。
心が痛むが仕方無い。
『……そうですね』
珠世が少しうつむいた。
側で見ていた炭治郎はあわあわと戸惑っていた。

そしてとうとう、珠世は愈史郎を飛び越え炭治郎と話し始めた。
『炭治郎さん。――愈史郎はこう言っていますが、私は会ってもいいと思っています』
珠世が言った。
『珠世様!?』
珠世にはそういう気まぐれというか、場当たり的な所がある。
愈史郎はそこも魅力的、神秘的だと感じるし、愈史郎が、敵わない、一番好きだ、お優しい、と思う部分でもあるのだが……。

珠世は、善逸はもう鬼狩りになったから、今更隠れても仕方無いと言った。
『記憶に関しては、自然に任せましょう。彼に受け止めきれない事とも思えません』
と言ったが、それも一理あるのだが、愈史郎は断固首を振った。
『いいえ。何がきっかけになるか分かりませんし、あえて近づく事はないと思います』

男女の別と言う事で、善逸の面倒はほとんど愈史郎が見ていたから、珠世はあの件があった後の善逸の様子をあまり知らない。
目を閉じている方の善逸は気丈に振る舞っていたが……鬼と過ごしたことはやはり負担になっていた。
既に寝ているからと、意識を落とす事が出来ず、やっと元の善逸に戻り、眠ったときには酷くうなされていた。
目を閉じている間の善逸は泣く事は無かったが、目を覚ました後の善逸は夜泣きが酷かった。それなのに、善逸には自分が泣いている理由が分からないのだから、不憫としか言いようが無い。

だから、会う気は無かったし――。
……『あの時』の事もあった。

(……あんなものは、子供の戯れだ)
愈史郎は否定した。

■ ■ ■

『分かればいいのか?』
と言った物の、愈史郎は勿論、子供に手を出したりはしなかった。

愈史郎は起き上がってベッドの上に正座した。
善逸にも正座させて切々と語った。

子供が出来るしくみに始まり、女と男、男同士のあれそれやら、その危険性や、肉体的、精神的苦痛、羞恥心、性病のこと、これをされたら逃げろとか、こういう奴には近づくなとか、牛込で善逸が聞いていた声や音の正体とか。今までぼかしていたことまで全て語った。
もちろん、『やっと六つの子供相手に何を言っているんだ俺は……』とか『本当にこいつに教えて、効果があるのか?』と何度も思った。

だが愈史郎が教えなければ誰も教えない。
嫌な思い出の一つや二つ。孤児ならば持っている。愈史郎だってそうだ。
幸い愈史郎は見るからに生意気で、実際に意地が悪かったのでそういう目にあったことがない。しかし、善逸はどうだ?
だまっていれば、いかにも気弱そうな子供。あっと言う間に食われるだろう。
――絶対に理解させる、という義務感を持って教えた。

「そういう事だ。だから駄目だと言っている。分かったか?」
「……よく分かりました。覚えておきます」
「何かあったら急所を狙え」
「分かりました。そうします」
『それ』は目を閉じたまま頷いた。

「よし、そうか。寝るぞ」
きちんと理解出来たらしい。
愈史郎はほっとして横になった。
善逸がしゅっと隣に潜り込む。愈史郎は呆れた。
得意げにさえ見える。ずいぶん懐かれたものだ。

愈史郎は欲を言えば、善逸が出て行った後も様子を見に行きたい、と思っていた。
きちんと育つか確認したい。
しかし鬼無辻に追われる身である以上、珠世と愈史郎は長く一カ所に留まることできがない。
出て行ったら最後、二度と会う事は無いだろう。一生会わないつもりだ。
会っても仕方無い。だから見張りも付けない。

「……こっちを向け」
愈史郎が言うと、善逸は素直に顔を上げた。

いけない、と思った。
「善逸、口をあけろ」
善逸は口を開けた。……子供の口だ。乳歯が並んでいる。
意外にも虫歯は無い。そういえば虫歯は親から食べ物の口移しで貰うと、どこかで聞いた事がある。なら、尚更だめだ。
……愈史郎はやめる理由ができて良かった、と思った。

この口は小さすぎる。
(っ――、何を考えている?)

冷静になれ、と自分に言い聞かせる。
こうなったら意地でもしない。実践しなくても、説明で十分だ。
別に実践するつもりだったわけでは無いのだが……。

「善逸、いいか、……相手が、この音をさせたら。他にも、鼓動が早かったり、震えていたり、様子がおかしかったりしたら、気を付けろ」
愈史郎は少し善逸を引き寄せ、自分の胸の音を聞かせた。

愈史郎はまさか自分が子供相手に欲情するとは思わなかった。
欲情までは行かないのだが、無性に手放したくない。
初めから……そうだった。

善逸は容貌が特に優れているわけでもない。
わりと涼やかな目元、幼い割に通った鼻梁、形の良い小さな唇、生え揃った睫毛、なめらかな頰……そういう若干の見所はあるが、眉がおかしな形だし、珠世に比べれば不細工だ。
目を閉じている姿はそれなりに神秘的だが。いっそ不気味でもある。
そうだ、不気味だ。
――これなら心配無いか、と思い直す。

「お前は耳がいいから、注意して聞けば分かるはずだ」
愈史郎は言った。
「……蹴飛ばせば良いの?」
教えた事を上ずった声で言うので、愈史郎はぎょっとした。いま蹴飛ばされるのは御免だ。
「違う。俺以外は蹴飛ばせ。いいな?」
「わかった。――」

愈史郎は『死ぬ気で逃げろ』と付け足そうとした。
「?」
だから、その時、何が起きたのかよく分からなかった。
愈史郎の口に何か小さくて、柔らかい物が触れた。
それが接吻だと分かり、愈史郎は目を丸くした。

「おやすみなさい」
甘い声で言って、善逸はそのままふっと沈んで、久方ぶりの寝息を立て始めた。

――翌朝。
愈史郎が起きて、隣を見たら『善逸』が目を開けていた。
「やっと起きたか」
愈史郎は言った。

「??わあああっ!?だれ?」
「――っ」
愈史郎は「があああ!!」と叫んで布団を引きはがした。

[newpage]

そして――藤の家。

結局、珠世にすがりついたまま善逸はしばらく泣き続け、泣き疲れて急にすやすやと寝てしまった。
愈史郎は『子供か?』と思って呆れた。
珠世の膝枕――に気が付いて愈史郎は善逸を布団に投げた。
珠世が「寝にくそうなので、着替えさせてあげましょうか……」と言ったので、愈史郎は顔をしかめた。
すると珠世は、では私が、と言ったので愈史郎は「俺がやります!」と叫んだ。

翌朝、愈史郎は、目を覚ました善逸を追い出しに掛かった。
「寝ていないで起きろ。起きたらさっさと出て行け!」
「ひどっ」
善逸が傷付いた顔をする。

「お前がいると、珠世様との貴重な時間が少なくなる。さっさと帰れ」
これは事実だ。善逸がいると珠世といる時間が減る。

……実際、善逸は馬鹿みたいに手が掛かる。鬱陶しい奴だった。
炭治郎からの手紙でもそれは察せられる。変わっていない。それどころか以前より酷くなっているように思えた。
所構わず、女性と見ればすがりつき求婚する友人――『我妻善逸』の文字を読んだ時には珠世と一緒に絶句した。
珠世は「育て方を間違えました……」と言ってガックリ落ち込んでいた。

「ええっ」
善逸はそんな、と言う顔をした。
「その様子だと、またろくに覚えていないな。さっさと帰れ」
愈史郎は立ち上がって善逸の刀と衣服を持ち、善逸の襟首を掴んで、を引きずって部屋を出た。

「えええ!?まって、あの!」
「このまま外に放り出す」

「あら……。愈史郎――、?一体何を」
珠世が引き留めたが、留まるつもりは無かった。

「珠世様、やはりこいつは捨てます。拾わないで下さい」
愈史郎は言って。善逸を裏口から放りだした。
荷物やぞうりもぽいぽいと捨てる。
善逸が慌てて刀を受け止めた。草履と隊服が地面に落ち、ばしゃと、顔に羽織が当たる。
「うわぁあああん!!ひ、酷い!!酷すぎない!?本当に捨てられた!!嘘っ!」
善逸は日輪刀を抱えて泣きじゃくった。

「ゆ、愈史郎……?」
愈史郎は戸惑う珠世を残し、護衛のいる部屋へ行った。
勢いよくふすまを開ける。
「おい、竈門炭治郎!」
隊士はまだ寝ている者もいた。
炭治郎は既に支度を終えていて、愈史郎が呼ぶとすぐに正座のままこちらを向いた。
「あ、おはようございます!善逸の具合はどうですか?」
開口一番、友の心配をした。
「ああ。もう良いだろう。あいつを連れて帰れ」
善逸は今朝見たところ、顔色もすっかり良くなっていた。
「はい。分かりました、どこにいます?」
炭治郎が言った。
「さっき外に捨てたが、珠世様はお優しいからな」
「捨てた?」
炭治郎が首を傾げた。

「……言葉通りの意味だ。珠世様が拾うかもしれない。珠世様が拾わなかったら、お前が面倒を見ろ」
「え?」
「……珠世様はしばらくここに置きたい、とおっしゃられるかもしれない」
――きっと珠世ならそう言う。
茶々丸と名付けた、あの三毛猫を拾ったのも珠世だ。その時も愈史郎は『駄目です、捨ててきて下さい!』と言った。そして結局、今も飼っている。

「……?」
炭治郎はしばらくぽかんとしていたが、はっ、と口を塞いだ。
「それは、ひょっとして、善逸も任務に加えていい、と言う事ですか?」
炭治郎が言った。察しが良すぎるのもどうかと思う。
「……珠世様次第だ」
愈史郎が言うと、炭治郎は満面の笑みを浮かべ、分かりました!と頷いた。

愈史郎は舌打ちをしてふすまを閉めた。

■ ■ ■

――その夜も鬼が現れた。
数は八。
竈門炭治郎は我妻善逸と共に、護衛の任務に就いていた。

今日は炭治郎と善逸の他に先輩隊士が二名、つまり四名いる。
先輩隊士は二人とも水の呼吸の使い手だった。

どうやらこの鬼――珠世と愈史郎を追うためだけに、新しく作った物らしい。

この藤の家は、錦町の少し町外れにある。
もちろん周辺住民達の避難は済んでいて、珠世と愈史郎が来て以来、周囲には誰もいないのだが……この鬼達は攻撃すれば向かってくる物の、なぜか珠世と愈史郎以外を襲わない。
だから珠世と愈史郎はここに留まる事ができている。
もちろんこの藤の家は仮住まいで、今、冨岡が産屋敷家と相談して、安全な場所を準備しているところだ。

「――水の呼吸 参の型 流々舞!!」
炭治郎は流々舞を使った。流れるような動きで鬼を五体葬った。
数日前に比べて鬼が弱くなった気がする。
ずいぶん倒したから、強い鬼がいなくなってきたのかもしれない。

「はあっ!」「――っ!」
他の隊士が残りを倒す。
一人は水面斬りで鬼の首を切断、もう一人は攻撃を避け水車を使って鬼を倒す。

あと一体――。と言う所で、新しい匂いが三体。
「先輩、裏に三体出ました。行って来ます!」
炭治郎は屋根の上に飛んだ。建物の裏側に鬼がいる。見下ろす。

「えっ嘘ヒィィィっ!?こんなにいるの?!」
善逸は隊士二名の後ろで混乱している。ガタガタ震え、全く役に立っていない。
「おいお前、刀抜け!」
隊士の一人が言った。
「駄目なら中に入ってろ!」
もう一人が言う。

鬼がやってくるのは物理的に、見えない建物の影からとか、塀の向こうから等だが、おそらくこれは、地中、または空中からわき出ている。
「きりがない!――はぁっ!」
隊士の声と、断ち切る音が聞こえた。どうやら表の鬼を斬ったらしい。

そう。きりがないのだ。――つまり、連日、ほとんど朝まで戦う。
炭治郎は刀を振るった。

そうして、追っ手はひとまず止んだ。
こうして一度倒せばしばらく来ない。一晩に三回、四回ほど来るのが常になっていた。
襲撃が止んだと見て、炭治郎は屋根の上を通り表に戻った。
「先輩、裏は終わりました。ひとまず止まったようです」
着地し、炭治郎は報告した。
「ああ、みたいだな。お疲れ」
隊士が炭治郎を労う。

もう一人の隊士が善逸を見て呆れた。
「お前、いない方がよくないか?正直うるさいし、邪魔」
「うっ……。す、……すいませ、ん」
善逸が震えながら謝った。
「謝るくらいなら誰かと代われよ……」
「なんでこんなやつ入れたんだか。あ、愈史郎と知り合いなんだって?」
隊士達はさらに呆れた。

炭治郎は考えた。この鬼達は――相変わらず、何が目的なんだろう。
たいして人も食っていないような。異形でも異能でもない鬼なのだ。
それでも次から次へと、数だけはいる。

「善逸、大丈夫か?」
先輩隊士に挟まれ、善逸が困っているようだったので声をかけた。

「……ねえ炭治郎、多い!鬼、多くない!?聞いてたけどさ!」
善逸が言った。
「ああ、多分まだ来る」
「ヒィィィ!!まだ来んの?!俺じゃ無理だよ……!」
善逸は涙目で訴えた。
「善逸、善逸なら大丈夫だから、次はちゃんと戦うんだ。たくさん鍛練しただろう」
炭治郎は言った。
煉獄の死から、善逸は鍛練の時に型を見せるようになった。
――雷の呼吸。
善逸は、自分は雷の呼吸の壱の型の居合い斬りしか使えないのだと言った。
それまで善逸の技を見た事の無かった炭治郎と伊之助は、彼の居合いの腕に驚いた。全く無駄が無くとにかく速い。その速さは炭治郎や伊之助から見ても常軌を逸している。
抜刀から納刀までが目で追えないのだ。気が付いたら標的が倒れていた。
善逸は、普通の居合いに呼吸の力と踏み込みの動きを足しているから速いのだと言った。炭治郎は綺羅綺羅と目を輝かせたし、伊之助もはしゃいでいた。

実践の様子を見た事は無いが、炭治郎が嗅いだ通りに善逸はとても強かった。
炭治郎は嬉しく頼もしく思っていたのだが――。それにしては。やはりどうもおかしい。
善逸は煉獄の死から任務へ行く時も駄々をこねなくなったし、異能の鬼相手の単独任務もこなしているはずなのに。自信がなさ過ぎる。
「俺、まだ鬼を斬ったことが無いから」「練習ではできるのに……」「俺は本っ当に弱いんだぞ!!」などと頻繁に言う。こっそり鍛練に励んでいるのに。強いはずなのに?これは一体これはどういう事だろう。謙遜を通り越して意味不明だ。
それとも極度の謙遜症なのか。謙虚なのは良い事だ、と炭治郎は若干、放置していた。
炭治郎は、たまたま掛け違い、鼓屋敷でも、那田蜘蛛山でも、無限列車でも、善逸が戦う所を見ていない。どうしてこんなに掛け違うんだろう?というくらい絶妙に見られない。
善逸が戦っているとき、炭治郎も必死で戦っているから仕方無いのだが。
だから今度こそ、今回の任務は善逸の技を見る良い機会だと思って、それを楽しみに頑張っていたのだが……。

「……だから、無理だって……、鬼が恐くて、体が動かないんだよ……!」
善逸は震えながら言った。
炭治郎は善逸の肩に手を置いた。
「だったら尚更、良い機会だ。この鬼は異能を使わない。そんなに速くも無い。善逸の速さなら十分斬れるはずだ」
「え、無理。何言ってんの?」

隊士二人はすかり興味を無くし雑談をしている。
「ま、あいつ直ぐ死ぬだろ」「あんなんじゃな……それよりさ、今度――」

この護衛任務の担当になっているのは、炭治郎を含め十二名。
鬼自体はさほど強くないので、裏と表で二名ずつ、計四名いれば十分なのだが、何回も、夜通し現れるのでもはや交代しつつの体力勝負になってきた。
珠世は外に出ず、隊士の前に姿を見せず、人のふりをした愈史郎がつなぎを取っている。

肝心の風呂敷包みは、実はとっくに冨岡が別の場所に移したのだが、敵は珠世と愈史郎が目当てらしい。愈史郎はあれを見た事自体がいけないのだろうと言っていた。
中身については炭治郎も聞いていない。

隊士二名はもはや慣れきって、壁にもたれて休憩する。何なら水を飲む時間さえある。
「ふう」「全く。なんて面倒な任務だ。早く朝にならないかな」
いつ来るか分からないから、建物に入る事は出来ない。交代要員がもう少し多ければ夜明けまで三時間ずつ、等できるのだが、鬼が大した事が無いのでだいぶ減らされてしまった。
炭治郎も善逸と共に一息ついた。竹筒で水を飲む。

(敵は何がしたいんだろう。……足止めか?)
炭治郎は考えた。鬼は屋敷の内部に踏み込もうとしない。意思も無く、操られてただ襲ってくるだけだ。その親玉が姿を見せない……。足止めなど、目的は別にあるのかもしれない。
「善逸、もしかしたら、油断させておいて、急に強い鬼が来る事もあるかもしれない。気を付けよう。単なる足止めかもしれないが」
炭治郎は自分と冨岡の懸念を話した。また怯えるかと思ったが、善逸は頷いた。
「確かに、何か目的があるんだろうな――っ!来た」
善逸が言った。

鬼が急に八体。向かい家の塀の向こうから現れた。
「ぎゃぁあ!!鬼、鬼が出た!!」
音で分かっていた癖に、善逸が叫んだ。
炭治郎は善逸の前に出る。
「お二人は裏を願いします!」
炭治郎は先輩達に言った。
――言ってはなんだが、この先輩二人、あまり強く無い。
階級は庚らしいが、実力、体力で言えば炭治郎の方がある。動きに無駄が多く、技を出すまでの時間、その後の消耗が大きくて。見ていて心臓に悪いことがある。体力、持久力に関してはよほど善逸の方があるのではないかと思う。そういう意味でも、炭治郎は善逸を歓迎していた。冨岡の話ではもうすぐ、他へ移る準備が整うという。
それならあとは善逸が戦えれば、そちらへ行くのは、珠世と愈史郎の事情に明るい炭治郎と善逸だけでいい――という事なのだが。

(本当に、善逸は今までどうやって任務をこなしていたんだ?)
善逸から、何も覚えて無いんだとか、村人や誰かがいつも倒してくれてる、とかそういう事は聞いていた。
まさかそんな事、単独任務である訳無いのだが。

「――肆の型!打ち潮!!」
炭治郎は叫んで斬った。流れるように一、二、三、四体の首が飛ぶ。
今は裏にいるから良いが、叫ばないと先輩達が避けられない。初め恥ずかしかったが慣れた。善逸は――?
炭治郎はそのままもう一度打ち潮を使って全て倒すつもりでいた。

(しまった!)
だが善逸を気にしていたので、五体目が浅かった。操られているので不自然な動きをする事がある。横薙ぎにして斬ったが首を斬るのにもう一太刀かかった。その隙に残り三体と新たに出てきた一体が善逸に向かった。
「ヒッ――!?」
背後で善逸の抑えた悲鳴が聞こえた。

「善逸っ」
炭治郎は振り返った。

――善逸がいない!?
炭治郎は匂いを探した。
善逸は上に高く飛んで避けていた。
善逸は着地し、低く構えた。
シィィィィ――。と独特の呼吸音が響く。空気がびりびりと震えている。

「雷の呼吸 壱の型」
静かな声だった。

「霹靂一閃」

炭治郎の目には、何も見えなかった。
鬼の間を縫うように光が動き、四体の鬼の首が同時に飛ぶ。
鬼の首が飛んだ後、鼓膜が破れそうな轟音が響いた。轟音の間に納刀の音がする。

「……四連」
善逸が言った。速すぎて、納刀の瞬間さえ炭治郎には見えなかった。

「……フガッ?」
善逸が急にたたらを踏んだ。

「……、……善逸!!」
炭治郎はしばらく呆然としていたが、駆け寄った。

「ぎゃあぁああああ!!殺されるーーー!!」
善逸は急にはっとして飛び上がった。
「善逸!?」
善逸少し先に、落ちた四つの首がある。灰になっていく……。
それを見た善逸はさらに高く飛び上がった。
「鬼、鬼、鬼!?!――ギャー!!えっまた死んでるっ!?なんなのもう!?なに!?なんなの!?イ゛ヤアアアア!!」
善逸は左右を見て震えて泣きながら力一杯、炭治郎の腰にしがみついた。
刀を持ったままだった炭治郎は焦った。
「善逸、刀が、あぶないぞ!!」
「炭治郎、炭治郎!助けてくれるのはいいけど、合図、合図してよ!!でも助かったよぉぉお!ありがとう炭治郎ぉぉ!!お前は命の恩人だよぉ!!」
炭治郎はあっけにとられた。
先程の見事な動きもそうだが――。
善逸が何を言っているのか、さっぱり分からなかった。

「善逸、何、寝ぼけた事を言っているんだ。今、斬ったのは善逸だぞ?霹靂一閃、四連と言った。一度に四体、すごい速さで斬ったじゃないか」
「は?何言ってんの?謙遜?いやいやいや。お前でしょ!!」
「えっ?」
「俺が斬れるわけ無いだろ!俺は弱いんだぞ!さっきも一瞬、意識が飛んだし!!」
善逸が叫んだ。

「は?」
「えっ」
お互い少し間があって、炭治郎は仕組みを理解した。
(もしかして斬った時、意識が無かった……?そんな事あるのか……?)

頭で理解したが、気持ちが追いつかない。
そういえば、善逸は確かにいつも言っていた。
気絶したら全部終わっていたと。自分の代わりに誰かが倒してくれていて、いつも鬼の首が転がっていると。
つまり善逸は、信じられないが、いつもこうやって夢うつつで戦っていたのだ。

「……なるほど、そうだったのか……!」

「善逸、危ないから離れてくれ」
概ね納得した炭治郎はとりあえず善逸を腰から離して、隣に立たせた。
「善逸、今、一瞬、気絶していたのか?」
「え……たぶん。うん」
「まさか、……もしかして、いつもこうか?」
炭治郎は首を傾げた。
「こうって?」
「善逸は、鬼を見ると、いつも気絶するのか?」
「うん。だって鬼、恐いじゃん……俺は弱いから、お前がいなきゃ、俺は死んでしまうんだよ!!だから守ってくれよ……。自分でも情けないって思うけどさぁ……ぐすっ」
善逸は泣きべそを掻きながら言った。

「……なるほど……。そうなんだな。善逸、よく聞いてくれ。それは違うんだ。今のは善逸が――」
炭治郎はしっかり説明しようとした。善逸は気絶しても戦っていると。
その時、ぞわっと神経が逆立った。見上げると別の鬼が空中に姿を現していた。

――水の呼吸 雫波紋突き!
炭治郎が刀で突く。
尋問したいので斬る気はなかったが、やはり躱された。

黒色の狩衣を着た、長い黒髪の、二十ばかりの男の鬼だった。
顔立ちは整っているが、目は白目まで真っ黒で、頭に二本、角が生えている。

「ふふ、――これは珍しい。思わず出て来てしまったよ」
金色の扇子を開き、口元を隠した。

「っ親玉か!!?」
裏から戻って来た先輩隊士が言った。
「鬼を操っていたのはお前か!?」
もう一人の隊士が言った。

「確かに。私だ」
鬼はあっさり肯定した。

「お前の目的は何だ、何が珍しい?」
炭治郎は言った。同時に鬼の匂いを嗅いだ。
(おかしい――この鬼。あまり人を喰っていない)
異臭が余りしない。せいぜい、二、三人くらいか?

「ふふ。まあ、聞かれて、正直に話すわけもない。珍しいのはそう、それだ」
開いた扇で善逸を示す。くつくつと笑った。

「これは目出度い。良い物を見つけた。ぜひとも、皆に教えて差し上げよう。それと、もう良い頃合いだ。私はこれで引き上げるよ。任務、ご苦労様。今まで付き合わせて悪かったね」
そう言って、鬼は消えた。

「……何だったんだ?」
「本当に、もう、出てこないのか?」
二人の隊士が顔を見合わせた。

■ ■ ■

二日後の朝、炭治郎から知らせを受けた冨岡が来た。
冨岡が来るまで、念の為にもう一晩、護衛として炭治郎、善逸以外にあと水の呼吸の隊士二名がそのまま残っていたのだが、鬼は来なかった。
鬼の言う通り、襲撃は終わったのだろうと冨岡も判断して、護衛任務は終了、護衛の隊士達は解散となった。
藤の家の周囲に活気が戻る。隠が謝礼を持ち奔走していた。

そして、その日の日没少し前。
現在この藤の屋敷にいるのは、珠世と愈史郎、冨岡。それと一旦蝶屋敷に帰ったのにまた呼ばれた炭治郎と善逸の五人だ。
炭治郎と善逸は半休をもらった格好になる。

――愈史郎達は六畳の和室に集まっていた。
愈史郎と珠世に冨岡が言った。
「移動の用意が出来た。今から荷物を纏めて頂きたい。元の場所にある物は順次、運ばせる予定だ。そちらは明日の夜にでも、直接、必要な物を指示して欲しい」

「こちらの準備は済んでいる。指示は明日か。わかった」
愈史郎は襲撃が終わった後、すでに荷造りを終えていた。
最も、急に出て来たので荷物はほとんど無いのだが。今背後に置いてある風呂敷が二つ、――珠世の為に用意させた着物、愈史郎の着物。それと脇差が一本。後は愈史郎、珠世がそれぞれ肌身離さず持っている応急手当道具。
たったこれだけだ。珠世達が住んでいた屋敷は隠が見張っているという。

「あの、俺まだ話がよく分からないんですけど。珠世さん達は、一体何を手に入れたんですか?」
善逸が言って、冨岡を見た。

護衛の継続を他の隊士に気取られないように、炭治郎と善逸は一度帰って食事を摂って昼寝して、また戻ってくる羽目になっていた。
あらかじめ聞いていたとは言え。なぜそんな慎重になるのかと不思議そうにしている。
炭治郎と善逸は、愈史郎と珠世が追われる原因となった『風呂敷の中身』を知らないから余計そう思うのだろう。愈史郎達は、二人にある物の入った風呂敷を手に入れしまった為、追われていた、としか言っていない。もちろん他の隊士達には何も話していない。

「俺達が聞いても良いんでしょうか?」
炭治郎が尋ねた。

「冨岡様。お話ししてもよろしいでしょうか?」
珠世が冨岡に確認を取る。
珠世は世話になる礼儀として柱に『様』をつけて呼んでいた。……愈史郎は何もそこまでしなくても、と思う。
珠世は柱との会話で、産屋敷を話しに出す時はさん、を付けて『産屋敷さん』と呼んでいる。
(……珠世様も複雑なのだろう)
愈史郎は珠世の胸中をおもんばかって心を痛めた。

珠世に聞かれ、冨岡は頷いた。
「ああ。話していい。その為にこの二人を残した。以後この二人と、もう一人、嘴平伊之助という隊士が護衛兼、連絡役を担う。嘴平には炭治郎達から事情を伝えてくれ」
冨岡が炭治郎に言った。
――炭治郎と善逸が半休の時に戻った時、伊之助は不在だった。まだ合同任務から帰っていない様子だ。

「分かりました。護衛は伊之助も一緒でいいんですか?」
炭治郎が言った。
「ああ。護衛は通常の任務と並行になる。お前達の誰か一人は当面、このお二方の護衛をして貰いたい。善逸か炭治郎を置いて、嘴平は交代という風でも構わない。もちろん全員で交代でもいい。三人で話し合って決めてくれ。この任務に関しては、他言無用だ。何か聞かれたら、鬼に狙われた一般人の護衛だと言え」
「分かりました」
炭治郎が返事をして、善逸も頷く。
冨岡は炭治郎達に任せると決めたらしい。愈史郎達と知り合いと言う事もあるし、信用しているのだろう。愈史郎も『嘴平伊之助』を名前だけなら知っていた。炭治郎の友人だ。

――まあ、ぎりぎり許容出来る範囲だ。

前置きが済んだとみて、珠世が事情を語り出す。
「……あれは二月前、炭治郎さんからの手紙を受け取った、数日後の事でした」

珠世は狙われる原因となった、風呂敷包みを手に入れた経緯を語った。

――珠世と愈史郎は追っ手を撒いて、もちろん、風呂敷を開けて見た。
そこにあったのは。花。珍しい『黒色の月下美人』だった。
花だけのそれはそれはみずみずしく咲いていた。

月下美人……というと、あの?」
炭治郎が言った。
「――花の?」
善逸も言った。

「ああ」
愈史郎は頷いた。

月下美人は稀にしか咲かない花で大抵は白色だが、珠世と愈史郎が手に入れた物はどれも少し青みがかった黒色をしていた。
それが風呂敷の中に五つあった。

それと書き付けが三枚入っていた。冊子の頁(ページ)を破ったもののようだった。

「俺と珠世様は、書き付けも読んだが、その内容を、こいつらに言っていいのか?……。産屋敷はどう言った?」
「お館様は、炭治郎達に話すのは構わないとおっしゃった」
冨岡が言った。

――愈史郎は頷いて続けた。
「分かった。あれは、どうやら鬼に効く薬を作るための材料らしい。黒い月下美人は、『炎麻草(えんまそう)』というものと合わせると、鬼の力を強くする事が出来る、具体的には血鬼術を強化できると。書き付けには、その分量と、大まかな製法が書かれていた」

「――」
愈史郎の言葉に炭治郎が目を丸くした。善逸も驚く。
「冊子を破ったのか、頁が足りず、中途半端な所までだったが……全く、厄介な情報だ」
愈史郎は溜息を付いた。
――そんな物が実在するなら、確かに追いたくなるだろう。
実際に黒い月下美人はあった。しかも五つも。

「なるほど。それで、鬼無辻が追っ手を差し向けたんですね」
炭治郎が言った。
「おそらくな」
愈史郎は頷いた。

「ところで、お二方に、お聞きしたいのだが。書き付けが本当だとして、お二方は、その薬が欲しいと思うか?」
冨岡が珠世と愈史郎に尋ねた。

愈史郎は少し考えた。
「……そうだな……。仮に本当なら、試す価値はあるが……。今の所は眉唾だ。だが、俺の血鬼術も、珠世様の術も、追っ手の鬼には効かなかった。もしかしたら、追っ手の鬼はその薬を使っているのかもしれない。俺の術を破ったのは、血鬼術を解除する術か、そうでなければ納得が出来ない」
愈史郎は言った。

愈史郎の目隠しの術の精度は高い。珠世の惑血もだ。
それを破る事ができる鬼が、そこらにいるとは思えない。

「仮に俺や珠世様の術が、解除系の血鬼術で容易く破れる物だとしても、追っ手に関しては説明が付かない。あれほど精度が高く、強い術は中々ない。親玉がほとんど人を喰っていなかった、というなら尚更、不自然だ」
愈史郎は言った。
「つまり、その薬のせいかもしれない……と言う事だな」
冨岡が言った。
「ああ」
愈史郎は頷いた。

珠世が口を開いた。
「書き付けには、炎麻草の絵が描かれていました。葉が炎のような形をした、見た事も無い植物でしたが、探す価値はあります」

書き付けには、炎麻草という名前と、簡単な絵が添えられていただけなので、どこにあるかは分からない。だが見た目が特徴的で、探せば見つかるかも知れない。

「冨岡様にお話したとおり、私達は禰豆子さんの血を元にして、鬼を人に戻す薬を開発しようとしています。だから、もしそういった、鬼に作用する薬があるなら、ぜひ調べさせて頂きたいのです」
珠世の言葉に、冨岡が頷く。
「こちらとしてもそれは助かる。胡蝶も協力すると言っている。そろそろ、日も暮れたな。今から、蝶屋敷の近くに移って貰いたい」

「え?」
『蝶屋敷』と聞いて、炭治郎と善逸が冨岡を見た。
「蝶屋敷近くの、使われていない家が借りられた。そこに胡蝶が研究場所を作った。もちろん日は差さない」

「……なるほど。それなら良いですね」
炭治郎が言った。
「確かに、近ければしのぶさんも通いやすいかも」
善逸も頷く。

愈史郎達の意見も聞かれたが、確かに鬼狩りの近くにいる方が警備はしやすいし、田舎に行くより合理的に思える。
冨岡は『ただし、追っ手が無い事が条件、ばれない事が条件』だとも言った。

追っ手も他に目的があったのだろうが――。珠世と愈史郎もまた囮だったのだ。
だから設備が整うまで、人員を割き、愈史郎達を目立つ所に置いた。
愈史郎は、やり方は気に入らないが、まあ良いとした。

「……そうだな。それなら、目隠し札を使おう」
愈史郎は頷いた。
護衛を交代するときは愈史郎が術を施す。
見張り札を屋敷に貼りまくる。あとは街だ。蝶屋敷から隠れ家の周辺を全て監視するつもりで押さえる。要するにいつもと変わらない。

「追っ手を操っていた者に効くかは分からないが、俺達以外に別の目的があったようだし、それで他の鬼は避けられる」
愈史郎は言った。
「胡蝶もそれがいいと言っていた。胡蝶も研究に協力するから、彼女にも術を施してやってくれ。そういう意味もあっての人選だ。護衛の三人はそれぞれ嗅覚、聴覚、触覚?が優れているから、追っ手に気づきやすい。油断はできないが……」
冨岡の言葉に、愈史郎は考えた。
「確かに、口封じの危険はあるが、危険は何処も変わらない。……雑魚鬼は街中、しかも鬼狩りが跋扈する場所には来ないだろう。だが、もし、強い鬼が正面から来たらどうする?人が巻き込まれるぞ」
愈史郎は眉を潜めた。
「その為の護衛だ。炭治郎達が、応援が来るまで身を挺して守る。それに周辺に家屋は少ない。実際に見て、安全を確認すればいい」
冨岡が言った。

そうして夜を待ち、目隠し札を付けて移動した。

■ ■ ■

愈史郎は外観を見て、よくぞまあ、こんなさりげない場所を見つけたものだと思った。
見た目は普通の二階建ての、白い板壁、ずいぶん色あせた赤い屋根の、放置されていた感のある、こぢんまりとした洋風建築なのだが――。

「……こんな所に家があるなんて。外からじゃ分からないな」
庭に入った後、善逸が呟いた。

しかも、そこは意外に蝶屋敷に近かった。
蝶屋敷の南側、十分程度の距離。大きい家が並ぶ一角だ。
広い屋敷の敷地の端にある、小さい洋風の家、という様子で、一応通りに面していて、周囲に少し建物があるのだが、入り方が非常に分かりにくい。
広い屋敷とは木や、申し気程度の壁で区切られている。屋敷や、洋風建築の周囲にちょっとした森があるのだが、木はまばらで鬼は好みそうに無い。

「確かに、ここから入るんですか?と思いました。そもそもどうやって入るのか分かりませんでした」
炭治郎が冨岡に言った。
「俺も分からなかった。中に胡蝶がいる。後は胡蝶に聞け。俺はこれで失礼する」
冨岡が言った。
「え?もう帰ってしまうんですか?」
炭治郎が首を傾げた。
「手が足りない。後は任せた」
「はい。義勇さんも頑張って下さい!」
炭治郎が微笑んで言った。

冨岡が去った後、愈史郎は屋敷周辺を観察した。
「今は夜だからいいけど、昼間はどうなんだろう?」
炭治郎が言った。
「見てみないとわからない、けど昼でも迷いそう……不気味」
炭治郎の後ろで、びくつきながら善逸が答えた。

この家は二階建てなのに、背の高い木に上手く埋もれ、表の道からは屋根さえ見えなかった。周囲にも似たような木があり、慣れていても迷いそうだ。
裏手に回ると、塀にある小さな入り口――門では無くて扉程度の広さ――から入ることができるのだが。そもそも、そこが表の道とは反対側だ。
本来の門は使われていないようで、蔦で埋まっていた。その門は屋敷から入る為か、洋風建築の側横にある。しかも屋敷の生け垣で塞がれていた。塞ぐなら、どうして表通りに面した壁を壊し、そこに新しい入り口を作らなかったのだろう。愈史郎は使う気がないにしても、もう少し考えたらどうだ?と思った。

洋風建築の正面側と、周囲に狭い庭があるが、今はどこも草だらけだ。
建物自体の向いている方向も若干おかしい。最初から建てる向きを間違えたとしか思えなかった。
……屋敷内の別荘という扱いだからか。放置され、随所にやる気の無さが感じられる。
所有者が金持ちなのは分かる。
「入りましょうか」「しのぶさんと、あと誰かいるね」
炭治郎達に言われ、愈史郎達は扉を叩いた。光は全く漏れていない。

入った所には伊之助がいた。
「やっときたか。遅え!」
伊之助は仁王立ちで、腕を組んでいた。

「――伊之助!?」
「なんでいるの?」
炭治郎と善逸が驚いた。

「遅かったですね」
伊之助の背後から、たすき掛けをしたしのぶが顔を出す。ニコニコしていた。
「初めまして。蟲柱、胡蝶しのぶです。珠世さん、愈史郎さん。お待ちしていました」
たすきを取って、一歩前に出て、しのぶは笑って言った。
しのぶは掃除や片付けをしていたらしい。

しのぶは洋館の内装を示した。
「すてきなお家でしょう?実は、伊之助君がここを見つけてくれたんです。任務の合間に改装も手伝ってくれて、本当に助かりました」
しのぶが微笑んだ。

「ええ?!お前、いつの間に?そんな事してたの!?」
善逸が驚いた。
「全然知らなかった……」
炭治郎が言った。
「ふふん!どうだすげえだろ!」
伊之助は自慢げだ。驚かせたくて、黙っていたんですよ、としのぶが言った。
伊之助は、案内するぜ!と言って炭治郎と善逸を連れて行った。

一階は陽の差さない部屋ばかりで、居間や小さい部屋を入れて五部屋あった。整った浴室、厠や台所もある。この家は、正面以外窓がほぼ無い。その窓もふさがれていた。
愈史郎と珠世は変わった造りに驚いた。

「隠れ家はどこにしましょう?と考えたんですが……中々決まらなくて」
しのぶが苦笑した。
――珠世と愈史郎が鬼殺隊に保護された後、しのぶは事情をお館様から聞かされた。
薬について、珠世と一緒に調べてしてほしいと頼まれた。
しのぶは初め、産屋敷家がいいと思った。安全という点では折り紙付きだ。
だが何かあったらお館様の住処がばれる。
いっそ蝶屋敷でもいい、けれど陽が差すし、人の出入りが多すぎる。
その日、しのぶは朝からずっと考えていた。金子は頂いた。あとは場所だ。
目隠しの血鬼術が使えるらしいし、どこでもいいのだろうが……。できれば便の良い場所がいい。じっくり決めたいが、あまりのんびりはしていられない。
そうやって考えていたら、たまたまそこにいた伊之助が話しかけて来た。

『どうした?しのぶ。お前なんかおかしいぞ』
『いえ、そんな事ありませんよ?』
しのぶはしらを切ったのだが。伊之助に見抜かれた。
『そんな訳ねえ。ぞわぞわする。何かあるなら言え。隠し事か?』
しのぶは、伊之助は護衛に組み込まれる予定だし、暇そうだし、試しに相談してみようと思った。
『――と言う訳で、こっそり研究する場所を探したいんですが、中々決まらなくて。どういうところがいいんでしょうね……?良かったら、貴方の意見も聞かせて下さい』
と言うしのぶの言葉に、伊之助は嬉しげに胸を叩いた。
『なんだ、ねぐら探しなら俺に任せろ!つまり、分かりにくくて、人がいなきゃいいんだろ!』

そうして、伊之助は空間識覚を使い、あっと言う間に候補を出した。
伊之助が失せ物探しが得意なのは知っていたが、彼の呼吸の意外な使い方に驚いた。
しかも、どこも空き家だったり使われていなかったり、申し分無い物件で、しのぶは驚いた。予備として幾つか確保してもいいと思った。

『ここ、すっげえ見つかりにくいぞ!』
その伊之助が太鼓判を押したのがこの家だった。

居間と台所の間に間切りがあって、幅の狭い階段がある。
「この階段はもしかして?」
炭治郎が言った。
「ええ、地下があるんです」
愈史郎達も降りてみた。

「ここは酒蔵、西洋風に言うとワインセラーだそうです。広さも十分あったので、仕切りを作って、寝室に改造しておきました」
しのぶが案内する。
この家には一階の部屋の八割くらいの広さの地下室があった。
しのぶはそこに仕切りを付けて、三部屋に分けたらしい。
仕切りはどうやら手作りで、ちょっとした工事だ。伊之助と元大工の隠が内緒で手伝ってくれていたそうだ。
一部屋は研究室にするらしく、机と本棚、機材が運び込まれていた。
地下の二部屋に、それぞれ寝台が運んであった。そちらはそこまで広くないが、もちろんそれで十分だった。

「いかがでしょうか?二階は三部屋。どれも寝室です。陽が差しますが、そちらは私達が休む部屋にすればいいかと。ベッドも使えるようにしてあります」

「まあ、何から何まで……、あの胡蝶様、ここはどういった建物なんでしょう?」
珠世が不思議そうに尋ねた。

「お屋敷の方に聞きましたが、お祖父さんが一人で住んでいたそうです。向きがおかしいのは適当な増築の名残だそうで。一時は写真屋をしていたとか。しばらく住みたい方がいると言ったら、いいよいいよとおっしゃいました。しかも、鬼殺隊をご存じで。快く貸して頂けました。窓も少ないし、内装も素敵ですし。――まあ、思ったより街に近いですが、言えば切りがないので、もうここでいいかなと」
持ち主が事情を知っているというのは助かる。いざというとき避難が早い。
それに蝶屋敷からの距離も絶妙で、非常に使いやすそうなのだ。

「何となく、ここは見つからない気がします。追っ手も収まったのなら、ここでどうでしょう?」
「……そうですね。素敵なお家です。愈史郎はどう思います?」
珠世はとても気に入った様子だった。
「……悪くありませんね。街からの道と周辺に見張りを付け、建物丸ごと目隠しすれば良いでしょう」
ただでさえ見つけにくいのだ。隠したら、家主もある事を忘れてしまうかも知れない。

「では決まりですね。必要な物は、家主が全てお屋敷から工面して下さいました。そういう意味でも、運び込まなくて済んで良かったです。もちろんお代は払いました。家主さんは出入りする方を紹介して欲しいとのことで、今から皆で行きましょう。それと今後、この件は私の指揮下に入ります。炭治郎君達は私の指示に従って下さい」
しのぶの言葉に炭治郎達が頷く。

「伊之助君はかぶり物を外して下さいね」
「おう」
しのぶの言葉に伊之助はかぶり物を外した。
現れたのはやたら整った少女のような顔で、愈史郎は快く借りられた仕組みが分かった気がした。
上半身裸なのはどうかと思うが、誰も何も言わないので良いのだろう。

そうして、しのぶ達は持ち主の住む屋敷に移動した。屋敷の敷地へは蔦の絡まった正門のすぐ横にある、小さな出口から入ることができた。
しのぶと伊之助が案内する。
庭には小川や池があって、ずいぶん広い。大半は自然のようだが、蔵もあるし、かなりのお屋敷だ。母屋の正面まで、歩いて五、六分程度かかった。

「お金持ちの道楽って感じ?住めば良いのに」
善逸が言った。
「屋敷がでけえから、いらないんだってよ」
既に挨拶に行ったらしい伊之助が言った。愈史郎達は母屋を見た。確かにこれだけの家なら、敷地の端の洋館まで手が回らないのもうなずける。
「――でも、誰かに使って欲しかったんだと。思い入れ?があるって言ってた」
伊之助が言った。
「なるほど。それは確かに少しもったい無い。そうだ、お酢みたいな匂いがしたのは、現像液かもしれないな……」
炭治郎が思い出したように呟いた。
「あ、それ、暗室の棚に少し置いてあったよ。取っておいてあるのかも。大丈夫?しんどい?」
善逸が炭治郎を気遣った。
「いや、そんなに強くなかったから、大丈夫だ。ありがとう善逸」
炭治郎が微笑んだ。

「そうだ、置いてある物は捨てないように、とのことです。邪魔なら屋敷に置いてくださるそうです」
飛び石を軽やかに踏みながら、しのぶが言った。

「ところで、護衛の件ですが。伊之助君には、植物の捜索をお願いしたいと思っています。彼は野山に詳しいですから。場所の手がかりはまだないですが、もし手がかりがあれば、空間識覚で一山くまなく探せますし、適任だと思います。護衛は炭治郎君と善逸君が交代で。どうでしょう?」

「俺は構いません」「俺も」
炭治郎と善逸が、顔を見合わせ微笑みあった。
愈史郎は、住み込みで善逸だけでもいいと思ったが、任務もあるし交代は必要だろう。
――二人はずっと並んで歩いているし、やたら親しげな様子で、愈史郎は少し背筋がざわついた。
もちろん珠世と並んで歩くのは楽しい。が、それとは少し違う。

「いいぜ。探すのは任せろ。コソコソすんのは性にあわねぇ」
伊之助が請け負った。
「では、お願いしますね」
しのぶが微笑んだ。

〈おわり〉