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残響③ 記憶のかけら 下 【鬼滅の刃】【二次創作】

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#32 残響 3 記憶のかけら 下 (愈史郎×善逸) | 鬼滅の刃 - sungen(さんげん)の小説シ - pixiv

【概要】鬼滅の刃・過狩り狩り 二次創作 長編

カップリング】メイン:愈史郎×善逸 (R18あり)、ぜんねず、ゆしたま

 

残響③ 記憶のかけら 下

珠世と愈史郎が鬼狩りを呼ぶには、藤の家を使う。
そこで人のふりをして、こういう話を聞いたと言う。あるいは珠世の花押を付けた手紙を渡す。
まさか鬼狩りに接触するわけにはいかない。鬼狩りは鬼を見れば鬼と気が付くからだ。

――つまるところ、二人は心の平穏が欲しかったのだ。

あの子供は喰われて死んだという確証が欲しい。それは珠世だけでなく愈史郎も強く思っていた。
自分と珠世が助けた子供が、鬼になり人を喰いまくるなんて、さすがに寝覚めが悪すぎる。
もしあの子供が鬼になっていて、人を喰っていたら。鬼狩りの力を借りてでも、なんとしてでも狩らねばならない。
そこには、万が一、鬼となり人を喰っていなかったら、今後自制が効くなら――これはまずないだろうが――同族として迎えようという甘い気持ちもある。

鬼を鬼が殺す方法は三つある。

一つ、鬼狩りに売る事。
二つ、どこかに縛り付け、日の光を使う事。
三つ。鬼を喰うこと。

鬼が鬼の首を切ったところで鬼は死なない。だが共喰いし、かけらも残さず喰らい尽くせば鬼の胃袋は鬼を消化する。鬼は元々、人間だったモノなので喰えるのかもしれない。

珠世は『鬼』を喰った事があるか?まだ無い。愈史郎に至っては、人を喰った事すら無い。
そういうわけで、喰うのは本来、珠世の役割なのだが……。

「喰うなら俺がやります」
愈史郎は言った。
『万が一』というのは本当にありえない、という意味だが、ありえない事がよく起きるのが人の世の常。
愈史郎も生前――己が『人』であった頃は、鬼など一笑に付していた。珠世の正体を知ったときは「ああ、だから美しいのか」と納得し、同時に「ありえない」と思った。

「責任はとります」
人喰いは愈史郎と珠世の方針に反するが、鬼喰いはその限りではない。
あの子供を拾ったのは愈史郎だ。この役目を珠世に譲る気は無かった。
それだけではない。愈史郎は付け足す。

「――あの子供はもちろん、必要とあらば。敵も喰らいます」

『必要とあらば』というのは珠世と愈史郎が力を合わせれば、血鬼術を使い鬼を捕らえ、日の光で殺す事もできるからだ。
喰らうのは本当に最後の手段だ。
要するに苦肉の策なのだが、普段喰うだけの鬼達は、大抵、自分が喰われる事を想定をしていない。つまり意外性があり虚を付ける。
……先にこうして覚悟と役割分担をしておく事に意味がある。後は状況に応じて選べば良い。

鬼が鬼を喰っても良い事はあまりない。いくら食っても、一時腹はふくれるのだが、力は付かない。
鬼が共食いするのは、閉じ込められ、人が食べれず飢え切った時くらいだ。
聞く所によれば鬼は美味く無いらしい。
愈史郎からしても珠世以外の鬼はとても不味そうで、不潔で、臭くて、凄く固そうで、異形で、とにかく不味そうで。食欲など湧かない。そもそも食い物だと思えない。

鬼ならばまだ、食べられぬ蕎麦や飯、その他、鳥、牛や魚の方が美味そうに見える。
犬や猫、そういう獣も口にできるのだが、一時はしのげるのだが、やはり人には敵わない。
別に人の成分が優れている訳ではなくて、単純に、鬼が人の血肉を吸収して強くなる生き物だからだ。鬼の体が悦び滋養となる物が、人の体だけ――という。故に人が鬼の主食となる。

……愈史郎には人が美味そうに見えるか?これはそこまででも無い。
……記憶にある飯が美味そうに見えるのか?実は美味そうに思えることもあるのだが。それはまた別の問題だ。

愈史郎の覚悟に、珠世はうなずいた。
「わかりました。その時はお願いします。ですが、まだあの子供と決まった訳ではありませんし、惑血で罠に掛ければ、太陽で燃やす事もできますから。それは本当に最後の手段です。犠牲者が出る前に、見つけられれば良いのですが」

珠世はなるべく人に犠牲を出さず収めたがっている。陳腐な言い方だが珠世と愈史郎は『人間の味方』だ。

珠世の言葉に愈史郎は頷いた。
「はい。ですが血鬼術を使うようになっていたら、やっかいです。とにかく探すしかない」

「根城は近くにあるでしょう」
珠世が言った。

餌場を変えるか、鬼狩りを避けるか。そういう理由がない限り、鬼は遠くへ移動しない。
それは朝日を浴びたら死ぬからだ。
移動は夜の間だけ、しかも身を潜められる場所がなければ死ぬ。山なら穴を掘ったり岩を掘ったりできるので、そういう所に潜むことが多い。街なら空き屋や廃寺。薄暗いところが大好きだ。

「珠世様、手分けしましょう。目隠し札を付けます」
「ええ」
愈史郎は珠世に目隠しの術を施した。これで鬼狩りにも見つからない。

「俺は山を探します。珠世様は街や寺をお願いします。それで良いですか?」
「ええ。明ける前に余裕を持って家に帰って下さい。鬼の姿が分かれば。それでいいのですから。血鬼術には気を付けて。もし、別の鬼がいたら刺激しないように」
「俺はまず、東の山に行きます」
「はい。では」
愈史郎は屋根の上に飛び上がり、そのまま駆け抜けた。
珠世はこの街に詳しいので、心当たりを全て攫うだろう。

――この街の奥には山が二つ。北と東。
ほんの少しだが、東の山は夜明けが早い。闇が深い間に行かなければ。

「――……」
元々、別の鬼が住み着き、愈史郎と珠世はこの街を追われたのだ。
直接対峙したわけではない。鬼による死者が出た為、珠世は無用な接触を避けた。
東と北、どちらかの山に、あの時の鬼がいるかもしれない。

その鬼が近場で狩り過ぎて、鬼狩りに狩られていなければ、だが。
珠世や愈史郎に言わせれば、同じ街で頻繁に人を喰う鬼は阿呆だ。狩り過ぎれば狩られる。
まあ怠慢でも鬼無辻無惨に殺されるのだが、何事にも上手いやり方という物がある。

あの時の鬼はどうでもいいので、捨て置けばいい。

……愈史郎が東の山にたどり着いたとき、いる。と肌で感じた。

愈史郎は内心舌打ちした。こっちは外れだ。それなりに練達した鬼、つまり愈史郎と珠世を追い出した鬼だ。

用心しながら探す。自分で言うのも何だが、目隠しの術は役に立つ。
ただし過信は禁物。鬼の中にも、鬼狩りの中にも鋭いモノがいる。

川の向こう岸。木の陰から姿を見たが……。
肩からぼこぼこと、何本もの角が張り出した、成人の鬼。

(ちがうな、あれは)

――さっさと鬼狩りに狩られろ。
愈史郎は鬼狩りに情報を流す事に決め、その場を離れた。

人を喰えば異形に姿が変わるが、変わりたては特に人に近い姿をしているし、場合によっては人だった頃の記憶が鮮明に残っていることもある。
子供の鬼は子供の姿、女の鬼は女の姿になる。愈史郎に言わせれば、異形の鬼はどれも弱い。
本当に強くて厄介な鬼は、人とほとんど変わらぬ姿をしている。
力を付けるうちに完全な擬態を身に付けるのだ。
……鬼であることに納得している鬼、または人の頃の記憶がない鬼は、鬼の印である痣や、爪、ぎらつく目をあえて隠そうとはしない。結局、鬼はどいつも厄介だ。愈史郎は、日輪刀は便利だと思う。あれは人の執念の塊だ。

東の山を出て、次は北へ。

「……」
一刻ほどかけて、愈史郎は山裾、民家が少ない所まで来た。
この道を進めば山道だ。一瞬躊躇して、進む事にした。
鬼がいる。……気配は静かだが。
……いやな予感がする。

愈史郎は生い茂る木々の隙間を縫って進む。
これ以上はだめだと思った。
一目見るだけでいい。その一目で死ぬかもしれない。
鬼は首がもげても死なないのだが、実力差があれば囚われ焼かれる。

……屋敷が壊滅してから、二ヶ月の間にどれだけ喰ったんだ?
禍々しく、強い気配。
遠くて探ることが出来ないが、少なくとも八十人は喰っている。
それほど喰えば、騒ぎになるはずなのに。
もしや、鬼無辻が手配しているのだろうか。
違うかもしれない……。鬼無辻は鬼が自分の力で這い上がるのに任せている。
そういえばこの山は、そのまま反対に抜けられる。そちらで狩っているのか?

既に十二鬼月の、下弦並の力を持っているが……血鬼術はまだこなれていないはず。
だが、愈史郎では敵わない。

目隠しがあっても、痕跡、例えばちょっとした木々の変化などでばれることもある。
……あのあたり、なにか不自然だなと……。目ざとく気づき、視線を向ける者もいる。

(ええい!!)
愈史郎は進む事にした。今しかない。そう思うからだ。
気配は澄んでいる。

あきらめ切って、堂々と山道を進む。どうせ敵わないのだから、怯えるだけ無駄だ。
「おきゃくさま?」
すぐ耳元で声がした。愈史郎の肩を掴む手。鬼――女の。

捕まった!?

「透明な術ね、べんりそう」
びっと、額の札が剥がされた。愈史郎が、振り払う前に、右腕を後ろ手に押さえられた。
「……お前は……!?」
「いらっしゃい、ご飯食べる?ごちそうするわよ?」
桜色の着物を着た、女の鬼だった。頭には二本の角。手の甲や首筋に桜の花のような形の痣があり、肌は不気味に白い。髪は結っていないが、後ろで三つ編みにしている。それ以外はさして人と変わらない。女は微笑んだ。

「そんなに恐がらないで。私、鬼の事が知りたいの。あなた妙な気配だけど、どこの鬼?あの方の仲間じゃないのかしら?」
「……妙な気配?」
愈史郎は何も言う気は無かったのでオウム返しした。

(術が破られた!?――この女の血鬼術か)
何も言う気は無いが、押さえられ、刃向かう事はできない。

「ああ、そういえば。なるほど、貴方が愈史郎さんね?あの鬼に聞いたわ。東の山にいた鬼。心配しないでも、取って食ったりはしないから。鬼は仲間ですもの。例えあの方の敵でも……、そうね、困ったわ……どうしようかしら。私はいらないんだけど」
女は言いながら、愈史郎の腕を締め上げた。
「――っ、なら、放せ!」

「放しても逃げない?お話が聞きたいのよ」
「っ……具体的に、どう言う話だ?」

その時、周囲の景色がぐにゃりと歪んだ。
香りと――おびただしい量の花が舞う。

「愈史郎!」
愈史郎は女の腕から抜け出し、木の上にいた珠世を横抱きにして逃走した。
術を復活させ、一気に駆け下りる。

珠世が木の上にいたのには気が付いていた。会話は隙を作るためにしただけだ。
「追ってくるか?!」
追ってくる気配は無い。

珠世が振り返ると、女の鬼は手を振っていた。

■ ■ ■

「申し訳ありません、珠世様!!あんな鬼に遅れを取ってしまった!」
家に戻り、愈史郎は珠世に土下座した。
「顔を上げて下さい。大丈夫ですから。……紅茶を飲みましょう」
珠世が言った。

珠世と愈史郎は紅茶だけは飲める。二人は同じテーブルに着いて、暖かい紅茶を口にした。
「愈史郎、間に合って良かった」
「珠世様はなぜ山に?」
愈史郎が言うと、珠世は少し微笑んだ。
「あなたが、きっと無茶をすると思ったので」
「……」
愈史郎はうつむき、赤くなって恥じ入った。
その後『お優しい。珠世様はやはり素敵だ』と思いながら、溜息を付いた。

「珠世様。あの鬼は俺達の手には負えません。俺の術も解かれました。鬼狩りに任せましょう。……出来る事なら、喰ってやりたかったのに。敵わない」
愈史郎は拳を握った。
「ええ。私も感じました。……もうそれしかないようですね」
珠世が言った。

「ところで、珠世様はあれとは別の、もう一匹の鬼を見ましたか?」
愈史郎が見たのはあの女の鬼だけだ。
「いいえ、見ていません。二匹でいるとなると、鬼無辻の許可を貰ったのかもしれません。仕方ありません……産屋敷に手紙を出すか……」
珠世が溜息を付いた。やはり乗り気では無いようだ。

愈史郎は思い出す。
「屋敷の件を隠が処理をしたなら、二ヶ月の間に、既に討伐に向かっているのでは?あの鬼は八十人は喰っていそうですが。鬼狩りも負けたんでしょうか」
「一度、問い合わせてみましょうか」
「……珠世様、結局、もう一体は、あの子供なんでしょうか?あの女は、身なりだけで判断すると、屋敷の妻に見えましたが、そうだとしたら、夫か、他の身内が鬼なのでは?」
愈史郎は言った。
鬼が二体、しかも稀な協力関係。となると身内かもしれない。

「ええ、確かに、あの方は奥方様です」
珠世が頷いた。
「珠世様は奥方と面識がありましたか?」
「いいえ、ご主人と違い、街で遠くから見かけた程度です」
「……案外、正面から訪ねた方がいいのか?いやそれは危険だ」
愈史郎は言った。
珠世が頷く。
「そうですね。今回は鬼狩りの力を借りましょう。あちらがどう出るかは分かりませんが」
珠世が目を伏せる。

その時、見張りの術にに引っかかる物があった。
「!――珠世様」
愈史郎は立ち上がった。

■ ■ ■

見張りの術に引っかかったのは。襟巻きをつけた鎹烏だった。
庭に面した通りの、木の上にいる。
愈史郎は通りに出た。

「こんばんは。愈史郎さん。珠世様はお元気でしょうか?」
鎹烏が言った。

愈史郎は舌打ちした。この隠れ家は産屋敷に知られていたと言う事か。
「――耳の早いことだ。産屋敷の使いか?珠世様はお休み中だ!」
珠世はまだ家の中で、扉のすぐ内側に潜んでいる。もちろん寝ていない。

「今宵は風が澄んでいる」
鎹烏が言った。
「ご託はいい。さっさと話せ」
愈史郎が言うと、鎹烏は笑い、話し始めた。

「一月ほど前。お館様はあの山の鬼を討伐するために、複数の隊士を派遣なさった。ですが誰も戻って来ませんでした」

「なんだ、役立たずめ」
愈史郎は言った。
「お館様は、あなた方たがここに到着する事を知っておられた。あなた方は、何故あの山に?」
鎹烏が言った。
「言う必要はない。さっさと柱を出して討伐しろ。ついでに西の山の鬼も倒しておけ」
愈史郎は言った。

「討伐してよろしいのか?」
鎹烏が言った。

「――何を言っている」

「結果、隊士は全員死亡しましたが、一人が文を寄越しました。鬼に囚われた人間がいるようだと」

「……それがなにか?柱がいれば十分だろう」
愈史郎は言った。

「――」「珠世様……」
その時、扉が開き、珠世が表に出てきた。

「それは確かですか?見た方がいるのですか」
愈史郎が留める前に、珠世が言った。

「そのようでしたが、詳しい事が書かれていませんでした。明日の夜、柱が到着します。珠世さんと愈史郎さんの事は話してあります。特徴を伝え、あなた方には手出し無用とだけ」
鎹烏が答える。

「貴様等、何が目的だ?」
愈史郎は睨んだ。
「鬼を倒す事――ですが、やむを得ぬ事情があるなら、今回は、今までの感謝を示そうと。お館様はそうおっしゃっています。……では」

鎹烏はあっさり飛び去った。

「――ふざけるな!鬼狩り風情が……!!」
珠世が愈史郎の腕を掴まなければ、飛びかかり、烏を八つ裂きにしていた。
愈史郎は血管を筋立てていた。舐めるのも大概にしろと思った。

――お前等がいるから珠世様は隠れて暮らさなければいけない。
――珠世様が何の為に生きながらえているか知っているか?
――鬼を人に戻す薬を作る為だぞ!

「愈史郎、落ち着いてください」
「これが落ち着いていられますか!?」
愈史郎は言った。もういい。

「下らない。あんな子供一人、どうだっていい!――見捨てましょう。もう死んでいます!」
愈史郎は珠世に訴えた。
「いいえ。生きています」
珠世は断言した。

「あの子は生きている。貴方だって、そう思うのでしょう?」
珠世が愈史郎の目を見る。

「……あの子はもう、生きているのが不思議なくらいでした。なのに生きていた。死なずに生き残った。私達は、助けてしまった。だから、また必ず、あの子を助けなければいけない。その為には、どうしても、鬼狩りの力が必要です」
珠世がまっすぐに愈史郎を見る。

「――もうすぐ夜が明けます。地下へ入りましょう」
珠世は言った。

愈史郎は一度振り返り、まだ明けない空を見た。

[newpage]

「珠世様、目隠しの術が破られたというのは、どういうことでしょう?珠世様の術は効いていたようですが」
地下室で、愈史郎は言った。
――珠世は長椅子に腰掛け、愈史郎は珠世の正面に立っている。
ここは居間兼研究部屋として使っていた部屋で、入って左手側に空の本棚と、右壁側に珠世が座っている背もたれ付きの長椅子、入り口正面に書類机がある。
ちなみに長椅子は珠世を引き立てる赤い尾籠度張りで、それなりに値が張った。

地下は四部屋あって、この居間と、あとは実験室、奥の二部屋はそれぞれ珠世、愈史郎の寝室だ。
階段は居間と寝室の間、つまり四部屋の真ん中と、もう一つ愈史郎の寝室に非常用の縦穴がある。

珠世は首を傾げた。珠世も気になっていたらしい。珠世は口を開く。
「血鬼術の解除術、でしょうか?でも、そんな術、役に立つとも思えませんね……。鬼は頻繁に鬼と戦う訳でも無いし、あまりに限定的です。若いからでしょうか?」

「さあ。十二鬼月入りでも目指してるんじゃないですか?血戦を申し入れるためとか――まあ、それはないか。術の一面とみるべきでしょうか?」
愈史郎が言うと、珠世が頷いた。
「ええ、おそらくは。何にせよ、やっかいです」
珠世が言った。

「全く、その通りです」
愈史郎はため息をついた。
愈史郎は自分の感情をもてあましていた。
苛々して仕方がない。

「では、狩りは鬼狩りに任せて、俺達はその囚われた誰かを救出する。それで十分です。まあ人違いの可能性もありますが。鬼狩りには目的だけ伝えましょう、……ああもう!!全く、腹立たしい!!」

頭に浮かぶのはあの子供の顔ばかりで、本当に苛立たしい。
一言、心配だと言ってしまえばいいのだが、愈史郎にとっては珠世以外に必要な物など無かった。珠世がいればそれでいい。

みると珠世が曖昧に微笑んでいて、愈史郎はそっぽを向いた。

「そうだ。珠世様。もし鬼に囚われた人間があの子供だったとして、……どうします?惑血を使って下さいますか?」
思い出して愈史郎は言った。
これは惑血を使って、子供の記憶を消して下さいますか、という意味だ。
珠世は肯定した。
「ええ。ですが、いっそ、鬼狩りに預けた方が、良い縁に恵まれるのでは……?」

――確かにそれも一理あるのだが。

「いいえ。分かりませんよ。鬼狩りなんかに預けたら、鬼狩りにされるかもしれない。だったら、いっそ全てを忘れさせて、市井の人に預けた方がましです!」
愈史郎はその方が鬼狩りになるよりはマシだと思う。

「では『この子を、決して鬼狩りにしてはいけない』と柱に伝えるのはどうでしょう?藤の家もやめてください、普通のお屋敷に預けて下さい……と」

珠世はそう言ったが……。
愈史郎は盛大に顔をしかめた。
言った珠世自身も珠世も少し困った顔をしている。

愈史郎は小さく溜息を付いた。
「無理ですね。……どういう状況か分かりませんが、屋敷では、目の前で人が喰われたんでしょう。そんなの、鬼狩りになりたがるに決まっていますよ」
愈史郎は言った。
――そうやって、進んで鬼狩りになる子供のなんと多い事か。
もちろん適性の問題もあって、選別で死んだり、隠になる者も多いようだが。あの子供の土壇場での生命力を見ているだけに……嫌な予感がする。

一度鬼と深く関わってしまったら、そこから抜け出すことはまずできない。
……いや、全く何も無かったと、そういって暮らす事もできるのだが。あの子供もそうなるはずだったのだが。

「確かにそうですね……。惑血を使って、忘れさせましょう」
珠世は頷いた。

珠世と愈史郎は日が落ちるまで、それぞれ休む事にした。

■ ■ ■

愈史郎は山の麓で二人の鬼狩りを見つけた。
今、愈史郎は姿を隠していないが、珠世は愈史郎の術で姿を隠している。

二人とも男。
一人は隊服の上に水色の羽織を羽織っていて、もう一人は隊服に白い羽織。
白い羽織は十七、八くらい。髪を伸ばしていて、首の後ろで一つに括っている。髪は背の真ん中程度まである。

水色の方がだいぶ年上。三十過ぎ。厳つい顔をしている。こちらが柱だろう。
愈史郎を鬼と見て白羽織は警戒した。柄に手をかける。

「お前が、柱か?」
愈史郎は話かけた。

水色の男が頷いた。
「ああ、そうだ。君が協力者か?」

「……俺と俺の仲間は、囚われた者の救出しかしない。山の鬼は貴様等で狩れ」
愈史郎は言った。
それですぐ立ち去ろうとしたのだが。
「待った、山の鬼について、何か知っているか」
絶妙の間で、柱が言った。
「……。一匹は桜色の着物を着た女の鬼だ。もう一匹は見ていない。女の鬼はこちらの血鬼術を解術してきた。仕組みは分からない。解術する理由もな」

「そうか、ありがとう。鬼は倒す。後で手が必要なら言ってくれ」
「いらん!」
愈史郎は言って、姿を消した。
どうせ愈史郎の術も、珠世の術の事も、産屋敷から聞いているだろう。

珠世と愈史郎は鬼狩りを先に行かせる事にしていた。
二人の鬼狩りが山道を歩いて行く。

「鬼は、自然の洞窟をねぐらにしているそうですね」
白羽織が言った。
「ああ。人がいるならそこか。急ごう」
柱が少し歩調を早めた。

「――いらっしゃい」
女の声だった。

――水の呼吸・漆ノ型 雫波紋突き!

柱が着物姿の鬼に素早い突きを入れたが、空ぶった。
「――幻術か?」
柱の突きの少し先に鬼がいた。
そのまま柱が刀を振り下ろす。どおっと言う音と共に辺り一帯の落ち葉が舞った。
水が打ち付けられたように見える。
愈史郎は左斜め後方から見ていた。あれは――水の呼吸の滝壺という技だ。
鬼が姿を現し下がる。鬼の腕と足が切れていた。切断までは行かず、すぐに再生する。

「まあ、今度は強い人が来たのね」
鬼は微笑んだ。

――霞の呼吸・肆ノ型 伊流切り

もう一人の白い羽織が滑るように動き、鬼の足を太腿で切断する。
鬼の体がどう、と落ちた。
「すごい!まあ」
鬼は手を突いて身を起こした。

「丁度良いわ。二人で戦って頂戴」
鬼は笑った。

血鬼術――三桜散花(さんおうさんか)

「っ!?」
「――何?」

ぴた、と動きが止まる。そして、柱と白羽織がお互いに向き合い、構えた。
愈史郎はそうかと思った。人を操る術。つまり愈史郎は操られ、自分で術を解いてしまったのだ。鬼もその対象か?

「まあ、そうね。このまま帰って貰うのも良いわね。私は家族の時間を邪魔されたくないの。そこに隠れてるのは、この間の鬼達よね?」
鬼の足が再生し、立ち上がる。

「うっとうしい」
愈史郎の術が解けた。続いて、珠世の術が。札が外れた。
「ちっ」
珠世と愈史郎の姿が顕わになる。

「――陸の型 月の霞消!」
動いたのは白羽織だった。鬼の肩を切る。鬼は技に反応し、一瞬前に避けていた。

「水柱様!この術、操れる数に限りがあるかも!?……たぶん!一度に三人くらい!?」
「なるほど、避けろ。ねじれ渦」
「っうわ!?」
ごおっ、と空気が逆巻く。波に巻き込まれ、白羽織が血しぶきを上げ転がった。
「あらばれちゃった。すごいわねえ。でも三人ならすっごくよく操れるのよ。お稽古を見せて貰えて、あの子達も楽しかったでしょう。ふふふ、面白いわ!まだまだ、遊びましょう?いちばん弱いの、だーれだ?ああ、あなたね」
「なっ」
鬼が言って、愈史郎はたたらを踏んだ。支配が解けたのだ。
その時、珠世の爪が愈史郎の顔面を切り裂いた。
「っ!?」
「愈史郎っ」
珠世が悲鳴を上げた。
「ご褒美です珠世様!」「何を言っているの!?」
今操られているのは白羽織、柱、珠世だ。これは鬼にも効く術らしい。

「みんな、もっと相手を憎むのよ!」

血鬼術――致死散桜(ちしさんおう)

鬼の言葉で珠世が自らの右腕を裂く。

『血鬼術――惑血……視覚夢幻の香』

(まずい、惑血が発動したら鬼狩りはひとたまりも無い!)
愈史郎はとっさにに珠世を横抱きにして走った。黄、紫、桃、白色。周囲に幻想の花が広がる。
「鬼狩り、香を吸い込むな!!」
愈史郎は鬼狩りに向かって叫んだ。
同時に「ぐっ!」という声が聞こえ、白羽織が倒れていた。愈史郎は一瞬振り返る。
その瞬間に珠世が愈史郎を振りほどき、愈史郎の頭を掴み木に叩き付けた。頭蓋骨が砕け、愈史郎の左側頭部から血が吹き出た。
「珠世様!」
珠世に角がある――。少し香を吸ってしまった。視界が揺れる。
愈史郎は目隠し札を使って姿を消し、珠世の爪を避けた。頭の傷は致命傷にならない。それより、鬼と鬼狩りだ。
「っ失礼します!!」「きゃっ?」
愈史郎は姿を消したまま、珠世に足払いをかけて転ばせた。
すみませんと心の中でさらに謝罪する。

(ああっ!転ぶ珠世様もお美しい!!)
そのまま愈史郎は珠世から離れ、香を吸わないように息を止め、鬼に爪で切りかかった。

「――っ!?」
鬼が左横から来た愈史郎の爪を避けた。

「おい柱!!俺が今だと言ったら斬れ!」

「邪魔よ、――っ!?」
鬼が振り払おうとする。

「操れるのは俺もだ!!」

愈史郎は鬼の正面に回り、頭に右爪を深々と突き刺した。
愈史郎の気迫に鬼が身を引く。珠世が愈史郎を蹴飛ばす。指が外れた。
愈史郎はまた鬼を狙う。珠世が愈史郎の肩に噛み付く。再び愈史郎の爪が刺さった。
「っ!!」
焦った鬼は愈史郎を操った。

(――馬鹿な鬼だ)

愈史郎は目隠しの札を投げ、既に、そこにいる者全ての姿を隠していた。

「今だ!」
愈史郎は叫んだ。
「しまっ――」

その刹那で、鬼の首が飛んだ。

「珠世様っ!!大丈夫ですかっ!!!珠世様!!」
愈史郎は鬼から離れた位置に着地し、珠世に駆け寄った。
「ええ、大丈夫です」
珠世の髪はほつれ、血が流れ、着物は所々破れている。
怪我をした珠世を見て、愈史郎はかっとなった。
「この程度か、鬼狩り!!!」

「ああ――面目ない」
柱が言った。

首を取った技は確か打ち潮だったか。上手く愈史郎をよけて斬った。
……愈史郎が作った隙を突いて、首を狩ったのはまあ評価できる。
愈史郎が柱と隊士を鬼の死角にしたので、意図に気が付いたのだろう。

「次の鬼はすぐ殺す」
柱が言った。

「そうしろ」
愈史郎は言った。
鬼の体と、別れた頭が灰になっていく。

「……ああ……染助っ!……まだ……」
鬼の声が聞こえた。

……でも、やっと楽になれるのね……。

鬼は、泣きながら散った。

愈史郎は自分の腕に触れた。傷はふさがっているが、着物は血で汚れ、あちらこちら破けている。だが珠世の事を思えば大した事は無い。
誰の支配が外れるかは分からなかったが、よりによって柱を外すとは。愈史郎を攻撃していた珠世はあり得なかったし。白羽織は倒れていたが、それにしても馬鹿だ。どのみちこの鬼は死んでいただろう。

「そいつは?死んだか」
愈史郎は倒れたままの白羽織を見た。

「おい、すまん、生きてるか?」
柱が言った。
「っ大丈夫です……このくらい」
白羽織は左肩を押さえている。深くは無さそうだが、袈裟切りにされ範囲が広い。
「止血しましょう。ひどい怪我」
珠世が膝を付いた。
白羽織がえっ、と言ったが、大人しくしろ、と柱に言われ黙った。

手当の間、愈史郎は白羽織を睨んでいた。
「鬼が染助と言ったが……確か、四嶋屋の息子の名前だな。君達が助けたい者か?」
愈史郎に柱が尋ねた。
「知らん!違う!」
全く聞いた事の無い名前だったのでそう言った。
「そうか」

柱が携帯ランプに灯りをともして、木の下にいる白羽織を照らした。
珠世は白羽織に包帯を巻いている。
「これで、痛みも少ないはずです。どうでしょうか」
「……大丈夫です。ありがとうございます」
応急手当を終え、珠世と白羽織も立ち上がった。
山道の右側に柱と白羽織、左側を愈史郎と珠世が進む。
二組の間には三歩ほどの間隔がある。道幅があるのでこれ以上は離れられない。

「……この辺りには、死体はないですね」
白羽織が言った。
「やはり、山頂か」
「はい。山頂近くには崖があって、いくつか、自然の洞窟があるそうです」
白羽織が手描きの地図を見て言った。
猟師にでも聞いたのだろう。地図には崖と洞窟の位置が示してある。
「一番大きい物から見てみよう。怪我は大丈夫か?」
柱が言った。
「はい、手当のおかげで今のところ問題ありません。あ、灯りは俺が持ちます。崖方向への目印は地蔵、らしいです。その向こう側には川もあるそうで、そのさらに向こうにもまた大きな崖があるとか……そっちだと大変ですよ」
白羽織が灯りを受け取る。それからしばらく、四人は無言で登った。
この山は木々が生い茂っているが、反対側に抜けられる山という事もあり、一本だけ太い山道がある。今愈史郎達が通っている道だ。
……さすがにその山道のすぐ近く、と言う事はないだろう。
崖というのも見当たらない。もう少し奥なのだろうか。

山頂近くに地蔵があった。脇に細い獣道がある。
「あ。たぶんここです。水柱様、一番大きいのから見ましょうか」
白羽織は再び地図を取り出した。
「ああ、ここから、こう、順に回ろう」

一つ目、山道から一番近い洞窟は空振りだった。
愈史郎達は川を越えた。

川を越えたところ、岩の上で愈史郎は顔を上げた。

「珠世様。――今、なにか聞こえませんでしたか?」
そよ風に乗って、何か聞こえた気がした。
「ええ……」
珠世も目線を上げ、頷いた。珠世が耳に手を当てる。

「子供の泣き声……?」
珠世が言った。
「どちらだ?」
「こっちだ」
愈史郎は指さした。

また聞こえた。今度は柱も声の方へ顔を向けた。
「確かに聞こえる、行こう、走るぞ」
柱が言って駆け出した。

■ ■ ■

『だって、毒が原因でしょう?』
『染助ちゃん、前はまともだったのにね』

善逸がその会話を聞いたのは、たまたまだった。
たまたまというか、聞こえてしまうのだから仕方無い。必然と言えた。

その時、ちょうど屋敷は昼時だった。
と言っても使用人や善逸が食べていたのでは無く、食べていたのは、妾の子供達だ。
最近新しく、屋敷に五人。男児が二人、女児が三人来ていた。そのせいで奥様は臥せっている。
『――お母様は、盛ったのは多分、大奥様だって』
『……やっぱり、毒味してもらったほうが良くない?』
『――誰か呼ばないと。馬鹿鈴か、あの子守でいいかな』

「おい、善!手を止めんな!」
職人に怒鳴られた。
「すみませ、」
善逸は動揺して、持っていた棒を釜の中に落としてしまった。
「ばっ!馬鹿野郎!!」
「っ、すみません」
慌てて道具を拾ったが飯抜きになった。

「……」

夜中、善逸は空きっ腹を抱えながら、押し入れで目を閉じていた。

(もしかして、これがお鈴さんが言っていた『一番知ってはならない事』……?)

もちろん善逸はお鈴の話のその部分を気に留めてはいなかったし、聞き流していた。
だが子供達の話をこっそり聞く間に、これは間違って口にしたら大変な事になると思った。
そして先程、あ、そういえばお鈴さんが言っていたかも――と思い出した。

この屋敷の裏事情を要約すると、こういうことだ。
――染助は以前は普通で、利発な子供だった。しかし誰かに毒を盛られた。
――腕のよい医者のおかげで、命だけは助かったが、残念ながら今のような様子になってしまった。
――犯人は多分、大奥様?でも確証は無い。

善逸は聞かなかったことにしようと思った。

(お鈴さん……)
善逸は押し入れの中で泣いていた。
お鈴は、屋敷を出たいと言った。お鈴が染吉に申し出るのを、少し離れた場所から善逸も聞いた。
しかし、出してもらえなかった。

善逸は悲鳴を聞いて部屋に駆け込んだ。お鈴を庇った善逸は四日、蔵に閉じ込められた。
善逸は恐くて泣いて、ずっと叫び続けて、お鈴の無事を泣いて祈った。
お鈴は激昂した染吉に殴られて、腕を折られて、まだ治っていない。

幸いだったのは、お鈴の悲鳴が大きくて、屋敷中に聞こえた事だろう。
もし『善逸だけに聞こえた』と思われたら、もっと危なかったかもしれない。
善逸は明らかに、染吉と大奥様に疎まれている。それなのに外へ出されない。
染吉は善逸に「お前もお鈴も逃がす気はない」と言った。

「……」
一緒に逃げる?
できるかな。
善逸は考えていた。夜は門番もいないし、この耳があれば、逃げるだけならできる。
でもその後どうなる?
どうやって生きていけば良い?お金も無い。お金を稼ぐ。そんな知恵は善逸にはなかった。
……稼ぐなら体を売るしか無い。善逸は、ここで与えられる仕事以外ではそれしか知らない。
具体的に何をするのかは知らない。痛いとか、気持ち良いとか楽しいとか、本当に辛くて悲しくて苦しいとか。その時の音はぐちゃぐちゃで恐くてよく分からない。お金になるのは分かる。
でも善逸には買って貰える価値が無い。みすぼらしい、やっと五つか六つの男の子供だからだ。そうなれば身を売るのは――お鈴しかいない。それだけは絶対に駄目だ。

そうだ。逃げた後に別れてしまえばいいかもしれない、と善逸は思った。
お鈴が一人、遠くに逃げればきっとなんとかなる。お鈴は大人だ。

善逸はまた一人で『うしごめ』に戻って物乞いをして生きていけばいい。少し大きくなったし、今は病気もしていない。妓楼に頼み込めば仕事ももらえるかもしれない。もし欲しいと言われたら、体でもなんでも、喜んで売ろう。仕事はすぐには見つからないだろうし、寒くなる前にこのお屋敷から逃げなきゃ。

そうだ。それがいい。
明日、お鈴さんに話そう。うしごめへの行き方はきっとお鈴さんが知ってる……。
……善逸はまどろんで、そのままぐっすり寝てしまった。

ところが、その夜、善逸は再び目を覚ました。

■ ■ ■

今、どこかで物音がした気がする。
「……?」

目を覚ました善逸は、音のした方へ歩いて行く。
奥の部屋の方……?

廊下に出た所に、立ちすくむ人がいた。
「……!ぜん」
お鈴だった。お鈴は会うなり、善逸の口を手で塞いだ。
「静かに、――逃げ、る」
「えっ?」
分からぬまま、善逸は手を引かれた。お鈴の力は強かった。そのまま玄関の方へと――。
途中、何かにつまずいた。

「見るな!」
お鈴が善逸を引っ張った。お鈴は善逸を抱え上げお鈴が走り出す。善逸は青ざめた。
だってあれは。
あれは。女中が倒れている。
――どうして聞こえなかったんだろう。そうだ、屋敷中にぎゃあとかきゃあとかぁああああああああああ!!いやぁあああああ!!とかそういう声が響いていた。善逸は確かに聞いた、と思い出して戦慄した。今は丁稚部屋から悲鳴が聞こえる。必死に、必死に、お鈴が廊下を走る。

「どこへ行くの?」
出口にいたのは、染助だった。右手に小さい首を二つ。
左手には誰かの腕を持っている。

「……」
がちがちがち!と何の音だろうと思ったら、お鈴の歯の音だった。体中が恐がって、震える音がする。善逸も同じだ。

「善逸、遊ぼうよ。お鈴も遊ぼう」
染助が微笑む。

「血鬼術――」
染助の様子が変わった。目が血走り、体が大きくなり、血管が浮き出る。

「遊ぼう!!染助!」
とっさに、善逸は叫んだ。

「っ、ね……遊ぼう、染助!何して遊ぶの?!かるた!?えほん!?」
善逸はお鈴から離れ、駆け寄った。

「かるた?」
染助が首を傾げた。

「ああ、かるた、しらない?えっと、絵本、えほんを読もう!」

善逸の声はもちろん震えていた。恐い。恐い。こわい。助けて。でも。
お鈴が立ったまま、硬直してしまって動けない。善逸が動かないと。

「染助とおしゃべりできて嬉しい。ほら、そうだ歌も歌おうよ……どの歌が好き!?いろは歌とか、僕、っけっこう知ってるんだ!」
善逸は歌を歌った。酷い声だったが、少しして調子が合った。
それは染助が知らない色街の歌で、興味を引けたらしい。
善逸は『お鈴さん逃げて!』と心の中で思った。

染助が楽しげに目を細めた。その反応はまさに子供で、善逸はほっとした。
――良かった、染助だ。
聞いた事の無い、じくじくとしてざらついた音がするけど、まだ。

?……音が増えている。

「あら。染助、ここにいたの」
自分の背後から声が聞こえた。お鈴の隣に『何か』いる。

「おかあさん」
染助が言った。

姿を見たらしいお鈴がひっ、と声を上げて尻餅をついた。
……人じゃ無い。なに、この音……!!?

善逸は恐怖で背後の『なにか』を振り返る事が出来なかった。自分の心臓がうるさい。ハァ、ハァ、と自分の呼吸の音もすごい。肩や腕や足ががくがく震える。

「ねえ善逸とお鈴はつれてって。おねがい」
染助が言った。

「ぜ、ぜん、ぜんいつ、ぜんいつ……、ぜんいつっ」
お鈴はそればかり言っている。ぜんいつ、ぜんいつ……!と、ひたすら、何度も何度も言っている。お鈴の口からひゅうひゅうと息を継ぐ音がする。お鈴がむせ込むような音がする。お鈴は、ぜんいつ、ぜんいつ……!と涙声で呼び続けた。善逸が空元気を出して正気を保っているように、お鈴は善逸、善逸と言うことでかろうじて正気を保っている。

「連れて行く……?」
奥様が言った。そうだ『これ』は奥様だ。声色は冷たい。
人間の音じゃ無い。奥様に何があったのだろう。染助になにが。
「うん」
染助が頷く。

「……善逸はいいわ。本当にいい子だし、母さんも好きだもの。でもお鈴はね……」
「おかあさん、おすずのこときらいなの?」
染助が不思議そうに言った。
染助の声は幼い子供の棒読みのようで、あまり抑揚が無い。

「……いいえ。じゃあ、――そうね、連れて行きましょう。そうして、たくさん遊んであげましょうね」

善逸とお鈴は、それきり動けなくなった。

■ ■ ■

……どうやら、『おに』が人を食べると馬鹿になるらしい。

善逸は、染助が五人目を食べた時に気が付いた。
染助は初めはちゃんと話せたのに、今はなんだか、以前に戻ってしまったみたいだ。
感情の音も無くなってきている。

善逸はそれを染助に言った。
「染助、もう食べない方がいいよ。駄目だよ、駄目だよ……人を食べると、頭が馬鹿になるんだよ、お願い、もう食べないで」
今は夜で、奥様が狩りに出ていて、善逸は留守番だ。
善逸は洞窟の奥で、地べたに座り込んでいた。
すぐ隣に染助が座っている。
善逸は、けっきじゅつ、という物で思うとおりに動けない。

「それじゃなくても、食べちゃ駄目だよ、駄目だよ……ぉ。だめだよ……」
善逸はもうずっと泣いていた。
「たべないと、つよくなれないんだって、おかあさんが」
「ちがうよ、食べると頭が弱くなるんだよ。だめなんだよ、どうしても食べたいなら、っ、僕を食べて……」
洞窟の外から、悲鳴が聞こえる。

「お願い、殺して。お願いします……おねがいします……おねがい……」
「ぜんいつ、それより、あそぼうよ――、おはなしをきかせて」
染助が善逸の頭に触れた。

「ずっとおはなしをきかせて?」
染助が微笑んだ。

「坊ちゃん、なにがいいの?」
善逸は言っていた。
「ももたろう!」
染助が笑った。善逸も微笑む。
「……むかしむかし、あるところに……、おじいさんとおばあさんがいました」

幾つもの話が終わり、善逸が染助から解放された後、奥方が帰ってきた。
「あ、おかあさん!」

「……おかえりなさい、奥方さま」
善逸は、目を閉じたまま身を起こして奥方を迎えた。

「ただいま、善逸。染助は良い子にしてたかしら」
「はい」
善逸は頷いた。

「狩りはどうでしたか?」
「まあまあの成果ね。童磨様のおかげでやりやすいわ。善逸――いつもありがとう。貴方も食事を摂りなさいね」
桜が渡した包みには、『人間』が食べられるものが入っていた。
「ありがとうございます」
「鈴にも食べさせてやりなさい」
善逸は頷いて立ち上がった。

奥方が何かを肩から下ろす。
「染助。ごはんにしましょう」
「……ねむい……」
染助が言った。

「あら、また眠いの?よく寝る子は育つっていうし、そう言う物かしら。善逸、布団に入れて、子守歌を歌ってあげて。お鈴は後で良いわ」

善逸は頷いた。

それからひとつきほど後、お鈴は死んだ。

■ ■ ■

さらにひとつき後。
鬼を倒した愈史郎達は、周囲を警戒しながら進んでいた。

崖の周辺には木々が少なく、少し開けていた。倒れている木もある。
愈史郎は血臭に顔をしかめた。

「っ、仲間が……」
白羽織が呟く。
辺りは血の海だ。折れた刀や隊服の切れ端が落ちている。
死体は全く見当たらない。つまり喰われたのだろう。

開けた場所の左手側に切り立った崖があって、ずいぶん遠くまで続いていた。

泣き声は今も聞こえる。
それを頼りに探すと、程なくして洞窟が見つかった。

自然にできた物のようだが、大人一人が立って入れるほどの高さがある。

洞窟の前で愈史郎がはっとした。
泣き声とは別に……子供の声が、かすかにだが聞こえる。

しかもこの声は。

「珠世様……!」
「ええ」
珠世が頷いた。

「……子供か……?」
柱が言った。
「俺達が先に行く!」
愈史郎と珠世は迷わず進んだ。何かの話を読み聞かせているようだ。

――そのときです。
じいさんが助けた雀があらわれ、くちばしで鬼をつついて、目をつぶしました。

愈史郎の耳にも、珠世の耳にもはっきり聞こえた。

「……善逸っ」
愈史郎は一瞬立ち止まり、駆け出した。

――おかげでじいさんは命からがら、逃げおおせました。


――ああ、よかった、そう思って、ふりかえると、すずめの姿がみえません。


ついてきているとおもったのに……、


――おそるおそるじいさんがもどると、すずめはつぶれてしんでいました。


じいさんはすずめをていねいに拾い、あたたかいてのひらでつつんでやりました。


――ああ、てんじんさまよ。わしはいいから、どうかこのすずめをたすけてくれ。


じいさんはてんじんさまに、いいました。なんども、なんどもいいました。


するとどうしたことでしょう。すずめがぴくりとうごきだし、いきを吹き返しました。


――ああ、てんじんさまがたすけてくれた。わしじゃなくてよかったなぁ。


じいさんはそういって、とてもやさしく、なきました。


めでたしめでたし。


善逸は目を閉じていて、膝の上に子供を抱いている。
善逸の膝に顔を伏せて、泣いている子供は十くらいに見えた。

「――鬼だ」
柱が言った。
「あの子供は、人間ですか?」
白羽織が善逸を見て言った。

「善逸!!」
愈史郎は駆け寄り、善逸の肩を掴んだ。

目を閉じたまま、ぴくりとも反応しない。
「坊ちゃん、つぎはなにをよむ……?」
善逸が呟く。

「ぜんいつ、ねえ、おかあさんは?おかあさん、しんだの?」

「坊ちゃん」
善逸は鬼の頭を優しく撫でた。

「お母さんはね、先に行って、坊ちゃんをまってるんだよ。だから坊ちゃんも、お母さんの所へ行こうね。……さみしいなら、俺もついていくから。一緒に、手を握っていこう」

「ううん。ううん……、ぜんいつは駄目だよ、ひとりでいける」

「そっか……坊ちゃんは、偉いなぁ」

「でも、ねえどうすればいいの?おしえて、ぜんいつ。ねえ、おしえて」
鬼が自分より小さい子供に、震えながら抱きついた。

「お兄ちゃん達が持っていた刀、あの刀を持ってる人達に、お願いするんだ」
「何て言えばいいの?」

「お母さんの所へ、連れて行って下さい、って言えばいい」

「うん……」
鬼が立ち上がった。

鬼はとぼとぼと歩き、辺りを見た。

鬼は柱の前で膝を付いた。
「ぼくも、お母さんの所へ、つれて行って下さい」

「……」
突然の申し出に、柱は警戒した。そういう作戦、という事も考えられるからだ。

「死にたいのか」
柱が言うと、鬼が泣きながら頷いた。
「……おひさまがこわくて……」

「お前の名は?」

「四嶋染助」

「……、わかった。痛みの無い技で送ろう。罪を償い、母と暮らせ」

――水の呼吸 伍ノ型 干天の慈雨

すとん、と首が落ちた。

「ぜんいつ……ありがと……」

だいすき……

鬼は笑って消えた。

■ ■ ■

鬼が消えた後、善逸が急に俯いた。気を失ったのだろう。
愈史郎は善逸を抱えた。

「その子は、怪我は……?」
柱が言った。
灯りを近づけると、衣服は血で汚れていた。
白羽織が思わず手を伸ばす。

「触るな」
言って、愈史郎は柱と白羽織から隠す為、しっかり抱きしめ背を向けた。
白羽織の持つ灯りに照らさされ、善逸がいた場所がよく見えた。
鬼が運んだらしい布団。
血だまりに、死体のかけら、布の切れ端、草履が転がっていた。愈史郎はそれらを目に焼き付けた。

「私達が診ます。いずれきちんと、人の中に戻します。……それまでは」
珠世が言って、愈史郎と共に歩き出す。

「――鬼を斬って下さって、ありがとうございました。愈史郎、急ぎましょう。夜が明ける前に」
「ええ」
愈史郎と珠世は駆け出した。

善逸は愈史郎の腕の中でぐったりと眠っている。

愈史郎は思った。
手放してはいけなかったのだと。

■ ■ ■

――消しても消しても消えない。

「愈史郎」
珠世が部屋から出て来た。

「珠世様、どうでした……」
珠世は首を振った。
「……やはり。惑血では……『彼』の記憶までは消す事が出来ません」

善逸は、今、地下の一室で寝ている。
あの山での出来事の後、珠世と愈史郎は善逸を住処に連れ帰り、記憶の改ざんを試みた。
鬼と過ごした記憶があっては、人の中で生きていけない。
勝手だとは、重々承知だが、こんな事でこの子供の一生を狂わせてなるものか。
鬼狩りに取られてたまるか。
珠世と愈史郎に出会った時点で、既にこの子供の運命が狂ったというなら、今更なのだが。

珠世の惑血で善逸は今回の事件を『奥様が気狂いを起こして、妾の子や、主人、使用人まで皆殺しにした。お鈴もそこで死んだ』と上手く信じ込んだ。
惑血をかけている間に、意識朦朧とする善逸自身に確認したところ、善逸は「僕は押し入れで寝ていたから助かったんだ」と、確かに言った。
これで後は善逸の気持ちを落ち着かせ、生活しながら、惑血で徐々に珠世と愈史郎の事を忘れさせ、まともな奉公先を世話すれば終わり。
大人になっても、この頃の事はうすぼんやりと、霞が掛かって思い出せない、初めての奉公先で奥様が気狂いを起こして屋敷で何人か死んだ、そのせいで勤め先を変わった、そんな事もあったっけ、そのくらいのささいな記憶になる……。

――はずだった。

それなのに。消えない。

今日で善逸を助け出してから五日目。

「善逸、食事の時間だ」
昼過ぎ、愈史郎は食事を善逸のいる部屋へと運んだ。
善逸は起きていて、壁の方を向いていた。

この隠れ家は窓を塞いでどこも日が当たらないようになっているから、愈史郎と珠世も自由に動くことができるのだが、善逸には地下の実験室を使わせていた。そこは『診療所』だった時の名残で、狭い部屋の端に簡素な机があって、空の棚があって、ベッドが一つ。
愈史郎達は別に善逸を監禁したい訳ではないので、地上の部屋に寝かせても良いのだが、惑血を使うなら狭い部屋の方がいいのでこうしている。
それに今は、まだ経過観察中だ。
もちろん真っ暗闇ではなく、部屋はランプの灯りが灯っている。一番明るい物を置いてあるから、部屋全体をしっかり照らしている。

善逸は愈史郎に気づき、ゆったりと振り返った。

「ありがとうございます」
振り返った善逸は目を閉じていた。

「……食え」
愈史郎は部屋の端にある、簡素な机に食事を置いた。
味噌汁に飯。梅干し、干物。愈史郎は白米を炊き、味噌汁も作った。

善逸は目を閉じたままベッドから立ち上がり、目を閉じたまま移動し、目を閉じたまま丸椅子に座り、「いただきます」と言って目を閉じたまま手を合わせ、大人しく食事を始めた。

目を閉じたまま黙々と食べる。

初めは血鬼術が効いているのだと思った。だから言動がおかしいのだと。
しかしすぐに違うと分かった。

『これ』はひどく落ち着いた声で話す。
これは『善逸』より静かで。善逸より多少賢い。
――『これ』には術が効かない。

いや。善逸には惑血が効いているのだが……『これ』は惑血に騙されず、忘れる事が無い。
あの屋敷で何があったのか、自分とお鈴に起きた事、鬼狩りが来るまでのこと。もっと言えば、かつて牛込で珠世と愈史郎に助けられた事。全てを覚えている。

『これ』は珠世と愈史郎が知る「善逸」ではない。
では何なのかというと。分からない。
……乖離した善逸の無意識?
……潜在意識?
……記憶だけの存在?
元々こうだったのか?それともあの屋敷の事があってこうなったのか?まだ、それすらも分からない。
目を閉じているのに、飯を迷い無く口へ運びいつも最後に茶を飲み干す。
箸遣いは幾らか上達しているが……この食べ方は善逸の食べ方と言えるから『これ』は善逸には違い無いのだろうか?

「ごちそうさまでした」
静かに箸を置いた。

善逸が惑血にかかり、自分は押し入れで寝ていたから助かった、と珠世に言った後、そのまま善逸は眠った。
その後、様子を見に愈史郎が降りてきたら『これ』がいた。
それから善逸は全く出てこなくなった。今のところ元に戻る兆しは無い。

「具合はどうだ?」
愈史郎は会話を試みた。
善逸はこちらを向いて、目を閉じたまま微笑んだ。
「おかげさまで、もうずいぶん良いです」

愈史郎は善逸の頭に手を乗せた。
「そうか。具合はどうだ?」
「……?」
先程と同じ問いに、善逸が少し首を傾げた。
愈史郎は説明した。

「お前の頭の具合だ。自分が何か、今がどういう状態か、分かるようになったか?惑血の効果は丁度抜けた頃だろう」
二日前まで惑血を試していたのだが、こちらの善逸が『恐いから、やめてください』と訴えた。
『暗くて、恐い』『俺は、忘れちゃいけない』とも言った。

二日前の、――あなたは、誰です?という珠世の問いに、これは『自分が何か分からない』と答えた。

「改めて聞くが、……お前はなんだ?分かったか?」
愈史郎は溜息を付いた。面倒とかそう言うわけでは無くて、どうしてこうなっているんだと呆れている。善逸自体はまだ五つ、六つばかりの子供だが、こいつの言動には子供らしさのかけらも無い。

「善逸はどこだ?死んだのか?」
愈史郎は尋ねる。
「――いいえ。術が解けて、俺は俺が何か、だんだん分かって来ました。俺は善逸です」

「善逸だと?」
愈史郎は眉を上げた。

善逸は胸に手を当てた。
「ええ『俺』は善逸としての記憶を持っていて、善逸として生きている。だから善逸以外の何者でもない。別の者ではあってはいけない。頭の中に別の者がいたら、俺も、善逸も困ってしまう。珠世さんや、愈史郎さんも困るでしょう?だから、俺も善逸です」

「お前も善逸?」
愈史郎は言った。
「ええ。そうしようと思います。愈史郎さんは、どう思います?」
「……お前は、今、俺が違う名を名乗れと言ったらそうするのか?」
「愈史郎さんがそう言うなら」

愈史郎は少し考えた。
今ここで、これに名前を付けて区別すれば、これは違う物になる。
だが確かに、それは不便が多そうだ。何よりまた名前を考えなければいけない。

「お前はどうしたい?何になりたい?」
愈史郎は尋ねた。こいつにも意志があるのだろう。
「……」
善逸は首を振った。
「俺は善逸が思っている事以外は考えられないんです。だから」
愈史郎は眉を潜めた。
「だから、お前は善逸、という事か?」
「――。そう思いました。それに、俺は俺です」
善逸が頷く。
その後、善逸は俯いた。

「……今まで『俺』は『俺』が本当に辛いときに出てきて、俺を守っていました」

「俺は俺ができない事をして、俺を生かしていました」

「その時の俺は自分はきっと『俺』じゃない、と思っていました。でも、やっぱり、俺は善逸です」

愈史郎は舌打ちした。
「やはり、善逸だと言い張るわけだな」
――そういえばこいつは自分を俺と言う。善逸は僕と言っていたはずだが。

「からだも、こころも、善逸です」
善逸が微笑んで言った。涼しい顔をしている。

「……」
愈史郎は腕を組んだ。叫び出したい気分だった。

俺は善逸。俺も善逸。
自分でも初めは違うと思っていたけど、やっぱり善逸だった?

(――なんだそれは。珍妙にも程があるぞ!!)

愈史郎は。初めはこれを善逸と別物だと思っていたのが、三日、四日、過ぎた辺りから、だんだん『これは、確かに善逸ではないか?』と思えて来た。
口調や性格はまるで別人だが、思考がぶれないというか……。

こちらの善逸の言葉を信じるなら、この二面性は、善逸が幼い頃から持っていた物、という事になる。
つまり愈史郎達が知らなかっただけで、今回の事が無くても、もっと長い時間を一緒に過ごしていたら、いつかこちらの善逸を見かけて腰を抜かす事があったかもしれないと、そういう言う事か?
……今がまさに、腰を抜かしている状況なのだが。
日常生活の中、前振りもなくこれが現れていたらと思うとぞっとする。そんな事があったら、愈史郎は「うわぁあ!?」と叫ぶだろう。

――愈史郎は面倒なので、当人の主張を受け入れる事にした。
「それならそれでいい。で、一生そのままか?目はどうなっている?元に戻らないのか?」

別に、こちらの善逸だからと言って文句を付ける程でも無いが、愈史郎や珠世にとっては善逸と言えば、初めて出会った時のあの性格、と刷り込みがされているので違和感がぬぐえない。
こちらの善逸は強いようだが、あちらの善逸は泣き虫だ。
となれば、精神的な事も心配だ。
愈史郎は、こちらの善逸が全て引き受けるという意味不明な精神構造にも、かなり問題があると思うのだが。
……それはもう、どうすることも出来ない。

愈史郎は床に膝を付いて、触るぞ、と言って善逸の下瞼を指で少しずらした。子供の皮膚は薄いので、爪で傷付けないように、なるべく優しく。
そのまま、目のそばに灯りを近づけ眼球を見た。

「……、眩しい」
善逸が目を細めて言った。手で目を覆う。
「反応は普通だな」
愈史郎は言った。普通に目を閉じていて、まぶしい物を見た、という様子だ。

「耳は良く聞こえるか?」

愈史郎の言葉に、善逸が頷いた。

「……珠世様は、俺達のせいでお前がこうなってしまった事に、強い責任を感じていらっしゃる」
愈史郎は言った。
珠世は、自分のせいでこうなったと勘違いし、寝込んでしまった。
こんなことなら手放さなければ良かったと、落ち込み、自分を責めている。

「だからいいか早急に。速やかに!珠世様に、今から自分で説明しろ!お前も善逸だと言うなら、いくらかは安心なさるだろうが、……お前はお前で、無理をしないように、せいぜい休んで、うるさい方の善逸を起こすんだな」
愈史郎は善逸の頭をぺしぺしと叩いた。

善逸は目を閉じ、黙り込んだままだが、少し困っているように見えた。
愈史郎は、その様子を見て思った。

(ひょっとして、こいつは――鏡のような物か?)

……こちらの善逸には、何かを変える力がない?
個では無く、意志がないのだから、こいつが何をしても、それは善逸がした事になる。
となると、やはりあのうるさい善逸こそが、善逸という事なのだろうか。
成長の基本があちらの善逸なら、あちらが経験を積めば、こちらの言う事も変わる?

(いや。……断定するのは早いし、危険だ)

症状が精神病に良く似ているのが気になる。
善逸はまだ五つ。幼い時だけの物ならいいのだが、成長と共に進行して、病となり。取り返しの付かない事になるかもしれない。この先、どうなるか分からない。
こちらの善逸の言動に問題がないのが救いか。おかげでまだ『気が狂った』とは言えない。おかしいとは思う。
元の善逸に戻す事ができればいいのだが……。

(……本当におかしな奴だな)

愈史郎は善逸の手を引き部屋を出た。


「失礼します。珠世様、善逸を連れてきました。入ってもよろしいでしょうか!」
愈史郎が扉を叩くと、中から「どうぞ」と珠世の声がした。

珠世は沈痛な面持ちで、長椅子に腰掛けていた。
愈史郎は善逸の手を引いて、珠世の前まで来た。
善逸は目をつむったまま、口を閉じている。

「……珠世様、さっきこいつと話しました。どうやらこいつは。こいつも、善逸で間違い無いようです。元々、善逸の中にいた善逸が、たまたま今回の事をきっかけに現れてしまったのだと、こいつ自身がそう言いました。だから珠世様が責任を感じる必要は全くありません。俺達が知らなかっただけで、こいつは元々こういう奴だったんです!」
愈史郎は自信を持って言い切った。
確証は無いが本人も言っているし、もう、そういうことにする。

「――そう、なの?坊や?」
珠世は驚いた様子だった。

善逸は頷いた。
「……珠世さん、少し気持ち悪いかもしれないけど、俺も善逸です。善逸が、無意識に封じていた、わるい善逸……」

愈史郎の手に、善逸の震えが伝わってきた。
――こちらの善逸が、恐がっているのが意外だった。

善逸が、自分自身の言葉を否定するように、首を振った。
「ううん、俺が善逸です。これから一生懸命、いい善逸になりますから、……捨てないで、捨てないで、珠世さん……」

――捨てられた事が余程堪えたんだろう。
愈史郎は眉を潜めた。捨てるんじゃ無かったと思った。
――捨てるくらいなら、拾うんじゃ無かったとも。
愈史郎も孤児だったから分かる。自分がもし、珠世にそんな事をされたら絶望する。

(こいつは、子供ながらに、珠世様の素晴らしさ、美しさを理解しているからな)
愈史郎は溜息を付いた。

「……善逸さん」
珠世は長椅子から降りて、床に膝をついて善逸をそっと抱きしめた。

「私と愈史郎は、貴方を見捨てたりしません。絶対にです。……でも、私達は鬼です。鬼と人とは、共に生きられない」
「えっ!?た、珠世様!?」
愈史郎は思わず声を上げた。

「は!?ま、まさか!こいつを、まだ外にやる気ですか?!側に置くとおっしゃったじゃありませんか!?」
「ええ。言いました。ですが、考えを変えました。やはり、一緒にはいられません」
珠世はにべもない。
「――は、はぁ!?た、珠世様!?一体どうして!?」

「俺は反対です!一緒にいましょうよ!」
愈史郎は必死に訴えた。

「こいつは異端なんです――分かるでしょう?人より、良い耳、頭……そんなの駄目に決まってる!!」

こんなやつには、どこにも居場所なんてない。
善逸の手前そこまでは言わなかったが、愈史郎はそう思っていた。

どこへ行っても、誰にも理解されず、気味悪がられ、鬼と呼ばれる。
親も無く当たり前の生活もできず――。

それでも……こいつはきっといつか。
いつか、平凡な女と出会い、平凡な幸せを手に入れる。

愈史郎は『そんな事は許せない。絶対に許せない』と思った。

「そんなの駄目です!」
愈史郎は首を振った。

善逸が、平凡で美しくも無く、頭の悪い女を娶り――。
考えただけでおぞましいと思った。

なぜおぞましいのか。

愈史郎は『これ』を人では無いと思っているからだ。
むしろ自分達に近い何か。鬼と言ってもいい。だから人とこれが一緒になるなど、あり得ないと思う。

「俺は、絶対に嫌です!」

「愈史郎。気持ちは分かりました、少し……落ち着きなさい」
珠世が苦笑ぎみに言った。

珠世はまず、善逸に言った。
「私達は鬼です。善逸さん、貴方を引き取りたくないという事ではないのです。……叶うなら、一緒にいたい。けれど、私達は、追われる身。……今は追っ手の気配が少ないですが、いずれまた来るでしょう。そうなったとき、真っ先に狙われるのは貴方です」

「私達では、貴方を守り切ることが……できないのです」
珠世が言った。
「――、」
愈史郎は奥歯を咬んだ。
考えるまでも無く。珠世の言葉の意味が分かってしまった。

「俺は」
愈史郎は口を開いた。

「……お前と珠世様なら、珠世様を優先する」
愈史郎は言った。
どちらかしか選べない。そういう状況になったら、愈史郎は間違い無く珠世を取る。
珠世はおそらく、愈史郎を取るだろう。――いいや。愈史郎は心からそうであってほしいと思うのだが、守る者が二つあって、どちらかしか選べないとなったら……どちらも選べないのが珠世なのだ。
珠世は一つしか守れない。彼女はひたむきで、いつも必死だから。
……守る物が二つあったら。彼女は自分を捨てるだろう。あるいは二つとも捨てて彼女だけが生き延びるか。
そうしたくないから、手放すのだ。

「……」
善逸が振り返り、愈史郎を見上げた。
その目はやはり閉じていて。
愈史郎には……愈史郎を裁こうとしているように思えた。

「だが、俺とお前なら、俺はお前を優先する。見捨てたりはしない」

愈史郎は悪人でも、鬼でも無い。
口ではどうでも良いと言いながら、もしそうなれば、咄嗟に助けてしまうだろう。
弱いものを守る。……『人』である以上は仕方無い事だ。

「……だがそれは珠世様がお許しにならない……。珠世様……だからですか?」
愈史郎は珠世に確認した。

「ええ、その通りです」
珠世は微笑んで、その後に眉尻を下げた。

「愈史郎。だから、私達は三人、一緒にいてはいけないのです」
珠世が呟いた。

「上手く伝えられませんが、……分かりますか?」
珠世が善逸に言うと、善逸がこくりと頷いた。
「つまり、お互いをかばい合ってしまうから、きっと、みんな死んでしまうから……、一緒にいない方がいい、ということですよね」

善逸の言葉に、愈史郎は溜息を付いた。
五つやそこらの物言いではないが、全く以て、その通りだ。

「お前はそれでいいのか?」
愈史郎は言った。
「……」
善逸は首を振った。

「一緒にいたい……。でも、……、俺には夢があるから」
善逸の言葉に、愈史郎は瞼を少し上げた、珠世も瞬きをした。

「夢?」
愈史郎は言った。

「こうして……俺が寝ている間に、どこか、奉公先を見つけて貰えませんか」
善逸は夢については語らず、奉公先を世話して欲しいと言った。
話す気は無いようだ。懲りずにまた奉公に出るつもりらしい。

「……」
愈史郎と珠世は二人揃って、長いため息を吐いた。

愈史郎は善逸の幼さを不憫に思った。
……我が儘の一つでも言えばいいのに。聞き分けが良すぎて、腹が立つ。
我が儘言ってもいいんだぞ、と、……そこまで言うつもりはない。

「どのみち、元に戻るまではここにいるんだ。せいぜい手伝いをしろ。外には出るな。追っ手が来たら逃げるから、そのつもりでいろ」
「……」
善逸が明らかにほっとした様子なので、愈史郎は苛ついた。
何もすぐ追い出される訳ではない。それが分かって嬉しいのだろう。

「そうですね。私も伝を当たってみます。いいえ。それだけでは無く。今度はもっとしっかりしたお屋敷を」
珠世が決意を込め言った。

「なら、……その間に読み書きくらいはできるようになれ。算盤もお前には教える。できるかどうか、試してみればいい。後でお前が気味悪がられようが知ったことか。だいたい、そういう事はバレないように上手くやる物だ」
「俺はそんな器用じゃないし……」
こちらの善逸が初めて口答えらしき物をしたので、愈史郎は首根っこを捕まえた。
どう怒ったらいいのか分からず、とりあえず睨んだ。

「……」
善逸は怯えもせず、目を閉じたまま、されるがままに手足を下ろして愈史郎の方を向いていた。
愈史郎は善逸に今からやるぞ、と言い、珠世に、よろしくお願いします、と言って部屋を出た。

■ ■ ■

――我妻善逸の初めての奉公先は、しじまやという名の染め物屋だった。
幼い善逸には染め物の事がよく分からなかったが、染料の匂いと、いつも機織りの音がしていたのは覚えている。

そこはずいぶんしっかりしたお屋敷で、善逸は箸の持ち方や挨拶の仕方などに加え、ひらがなの読み書き、簡単な計算と、算盤の基本まで教わった。
後々で、善逸は、あの屋敷が一番良かったと思って、よく泣いた。

屋敷でとても悲しい出来事があって、善逸は勤め先を変わることになった。
善逸が懐いていた女中、確かお鈴?と言ったか。彼女は死んでしまって、墓は多分、屋敷の側にある。街の者なら誰かが知っているだろう。

……街の場所、これが実は思い出せない。
四つか五つか、そこらだったはずだし仕方無いと思う。

――それでも折に触れ、思い出したいと願い、記憶のかけらを集めている。

〈おわり〉